命あるかぎり   

 

                               2

 

                  「ぐわあぁぁ…」

        「ぎゃああぁぁ…」

        

        夕餉のためのささやかな焚き火が未だそこかしこに残っている、そんな頃だった。

        突然の悲鳴に殆どの者が腰を浮かした。

        妖魔の襲撃.。

        黄海に入って半月以上たち、こんな時は逃げるしかないことを誰もが分かっていた。

        だが、何処から悲鳴が聞こえてくるのか…それは深い森の木立にこだまして逃げる方向を見失わせる。

        宋英は最初に声が聞こえた方角へと走った。

        逃げ出す者をかき分けるようにしていくと、程なく同じように剣をとり駆けつける者と合流した。

        「褐狙(かっそ)だ!!」

        「…でかい!」

        獲物を捕獲した褐狙は他の者は逃げるに任せ悠々と食事をしていた。

        褐狙にとって時々この辺を通る二本足は、いともたやすく手に入る食料だった。

        彼らは自分をみると抵抗もせずにすぐに逃げ出す。

        夜目も利かず鼻も利かないこの二本足に、せいぜい気付かれないようにそっと忍び寄り手近のものを捕まえるだけでいい。

        だから、数人の二本足が手に手に光る剣をもって褐狙の所へやって来たのを不思議な気持ちで眺めた。

        次の瞬間には幾つもの剣が振り下ろされ、我が身をかすめて通った。

        すんでで避けた褐狙は、食事の邪魔をされて怒り、血塗られた牙を剥きだして吠えた。

        褐狙の動きは素早く、1人の二本足の腕を片方食い千切ったが、誰かの投げた槍が後ろ足を貫きドウと倒れた。

        すかさずとどめを刺しほっとしたのもつかの間、かすかな悲鳴が宋英達に聞こえた。

        思わず悲鳴のあがった方向をみる。

        「あっちは…ウソだろ?」

        「…いくぞ…」

        一目散に逃げていった連中がいるはずの方角に、騎獣を向ける。

        途中悲鳴を上げながらこちらに向かってくる男を捕まえる。

        「…なにがあった。」

        「ひっ…よ、妖魔が…こ、蠱雕が…うわあぁぁぁ…たすけて、たすけて…」

        「おい、待て。そっちはいかん。」

        恐怖で錯乱しているのか、男は宋英の手を振りほどき宋英達の来た方角へ走っていく。

        「むう…、蠱雕か。仕方ない、先に行ってくれ。」

        「あの男を追うのか?」

        「放ってもおけまい。なに、すぐ追いつく。」

        「わかった。気をつけろよ。」

        「ああ。」

        天馬の手綱をしぼり、もと来た道を戻る。

        恐怖に駆られた男は転びながらも必死に走り、意外と遠くに行ってしまった。

        このまま行くと先程褐狙を倒した場所に戻ってしまう。

        今あの場所に近づくのは危険だ。

        宋英は男に追いつくと天馬を降り、併走して説得した。

        「この先には、さっき俺たちが倒した褐狙がいる。血が流れたから、新手の妖魔が向かっているはずだ。」

        「…」

        「なあ、悪いことは言わん、引き返そう?」

        歯を食いしばり必死の形相で走りながら、男はぶんぶんと首を横に振った。

        「蠱雕なら、仲間が倒してくれるはずだ。もう心配いらないから戻ろう?」

        ひぃひぃと息を切らせながらも尚も走る男が、首を振るたび水滴が散った。

        霧雨は何時かまとわりつくような細い雨に変わっていた。

        突然男が立ち止まった。

        「…あ…あ…」

        褐狙を倒した所に来てしまった。

        おびただしい血が雨で流れ、辺り一面血の海だった。

        惨状に目を見張り、立ちつくす男にやんわりと言う。

        「な、言ったとおりだろう?此処は危険だから、これに乗ってみんなの所へ戻ろう?」

        目を見開いたままコクコクと男が肯いた。

        男を天馬の後ろへ乗せ、長居は無用とばかりに走らせる。

        この界隈にいる妖魔の何匹がこの血の臭いに気付いてこっちに向かっているのか、宋英も知りたくなかった。

            

        雨脚が強くなってきた。

        「蠱雕は何匹いたんだ?一匹か?」

        「わからない…出し抜けに姿が見えたんだ。悲鳴も聞こえていたから、一匹じゃないかもしれない…」

        (そろそろ他の連中と合流してもいい頃だが…うまく仕留めただろうか?)

        戦っている音や悲鳴が聞こえないか耳をそばだてるが、岩や木の葉に打ち付ける雨音が聞こえるだけだった。

             前方に黒い塊が見えた。

        それは最初、強ばった細い枝が何本か出ている木の枝のように見えた。

        近づくとソレは切り落とされた蠱雕の足だということがわかった。

        「でかいな…」

        人の頭より一回りほど大きい。

        どうやら仲間が応戦したらしいが、もう何処かへ移動してしまったのかそれらしい物音は聞こえない。

        周囲は大きな岩や生い茂った草木が視界を遮り見通しが利かない。

        宋英は天馬から降りると剣を抜いてそろそろと歩き出した。

        油断無く剣を構えてすぐ前の大岩を迂回する。

        その先も細い道に草木が覆い被さって見えない。

        しかたなく草木をなぎ払いながら生い茂った木の葉をくぐるようにして進む。

        男も天馬から降りて手綱を握りついてくる。

        「おっっと…」

        木の根につまづいて、2・3歩たたらを踏んだら急に視界が開けた。

        「…っっ!!」

        目に飛び込んできたのは赤い色だった。

        次いでむせるような血の臭い。

        家一軒分ほどの広さの岩場が血に染まっていた。

        剣を構え岩場の隅から隅まで視線を走らせる。

        動くモノの気配は今のところ無いが。

        岩場の真ん中辺りに倒れている大きな蠱雕には片足がなかった。

        気付けば周りには何人もの遺体が転がっていた。

        甲冑を着ている者は妖魔を追っていった仲間だった。

        甲冑を着ていない者は逃げ遅れた従者達だろう。

        ざっと二十人ほどの遺体を見る。

        宋英の仲間は全滅だった。

        「っっくっ…(なぜだ…なぜこんな事に…いったい何があった…)」

        そう、宋英が思ったとき        

        「…っぁあ…ひいぃ…」

        我に返った男の絞り出すような悲鳴とバサリという羽音が同時に耳に入った。

        反射的に地面に身を投げる。

        「はやく、伏せろ!!」

        宋英の声にも、男はまるで魅入られたようにその場を動かなかった。

        蠱雕の鋭い爪が男の顔面をえぐった。

        「っっぎゃぁあああああ」

        どう、と倒れた男は顔を覆って転げ回った。

        「…くそっ」

        宋英は起きあがり剣を構えた。

        空中から降りてくる蠱雕の最初の爪の一撃をかわして剣を振り下ろし、致命傷を与える。

        バランスを崩して岩場を転がっていく蠱雕を見ながら男に駆け寄る。

        「おい、大丈夫か。傷はどうだ。」

        のたうち回っている男が宋英の声に手を伸ばした。

        「あ…あ…ひぃぃぃ」

        目蓋ごと眼球がくりぬかれ、悲鳴を上げる男の顔には大きな穴が二つぽっかりと空いていた。

        がさりと背後で音がして振り向こうとした宋英の足に、男がしがみついた。

        「目…目が…ひぃっ」

        (しまった!)

        どん!という衝撃が背中から走り、ひやりと体温が下がった気がした。

        「っっ…かはっっ」

        一瞬の隙をついて蠱雕のくちばしが宋英の背中を貫いていた。

        すぐにくちばしは抜けたが、宋英は剣を取り落とし両膝をついた。

        チラリと空を飛ぶ蠱雕が二匹視界をよぎった。

        後ろの蠱雕の気配はそのままに、顔を上げると目の前にも巨大な蠱雕が立っていた。

        「いったい、何匹、いるん…だ…」

        背中から腹まで貫通した傷口から流れる血が、みるみる下半身を赤く染めていった。

        急激な出血で頭がぼうっとしてくる。

        息苦しさを覚えて宋英はあえいだ。

        ゆっくりと蠱雕は宋英の所へやってきて、その大きなくちばしを開いた。

        何も聞こえず何も考えられなくなった宋英が最後に見たのは、底知れない闇色をした蠱雕の口の中だった。

 

 

        

        賑やかな夕餉の席で供麒は不意に黙りこんだ。

        「…?」

        いつもと違うその様子に女仙は首をかしげた。

        「あ…何処へ、供麒」

        食事中だというのに突然席を立って戸口へ走る供麒に、女仙は驚き、慌てて後を追った。

        戸口から2・3歩出たところで立ち止まった供麒は、何かを探すように視線を空中に彷徨わせていた。

        駆け寄った女仙の耳にか細い悲痛な声が響く。

        「…だめ…きえちゃう!…」

        見開かれた目から涙が溢れる。

        くらり、と体が傾き供麒は崩れ落ちるように倒れた。

 

            ◇次へ

        

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          お疲れ様でした。連載第二弾でございます。

            今回流血シーンが多くてお嫌だった方もいらっしゃるかも…苦手なかたにはゴメンナサイ。

            実は宋英の最後が書きたかったのです…。悲鳴とか。(趣味悪…)

            「月の影 影の海」上巻の冒頭シーンや二章の6あたりのかなりグロイ描写。

            あんな感じを出してみたくて、というか、流血の惨事を書いてみたくて…あえなく玉砕しましたが。(身の程知らずという)

            悲鳴というのもなかなか難しいのですね。リアルなものを書こうとすればするほど、ウソくさい…。

            それにしても、華も色気もないこのシーン。最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。

            書いている私だけが楽しんでるかも….。(ダメじゃん)

            次回は、六太君が登場する予定です。少しは華が…(どうだろう?)