蒼夜

 

            あの日、雨に濡れて帰ってきた主上は、上機嫌だった。

            約束通り夕餉までにお帰り下さったし。

            以来、ぼんやりと窓の外を眺めるようなこともなく頑張って政務をこなしていらっしゃる。

            待っている身はつらいけれど、主上を信じてお出しして本当に良かった。

            だが…まさか、こんなオマケが付いてこようとは…

            眉間に深いしわをつくった慶国の麒麟は王の執務室で深いため息をついた。

            執務室には冢宰の浩瀚と陽子がおり、てきぱきと書類の山をかたづけていた。

            そして、陽子の座っている足元に当然のように居座っているすう虞を一瞥する。

            「…まだ、居るのですか」

            あからさまに不機嫌な声になる。

            「あ?ああ。いいじゃないか、大人しいもんだぞ。」

            御璽を押しながらチラと上目使いに景麒を見る。

            機嫌の悪い景麒を見て苦笑いする。

            こういうときは、待たせずにさっさと応対した方が余計なことを言われなくて済む。

            陽子は、書類を脇に寄せ景麒に向き直る。

            「で、用件は?」

            「こちらの書類に御璽をお願いしたく…」

            広げられた書類に陽子が目を通す間、景麒はついすう虞と目を合わせてしまった。

            蒼夜というこの獣は一瞬目を合わすと、ゆっくりと景麒から目をそらし、一つ大あくびをすると居眠りを決め込んだ。

            蒼夜が鼻で笑ったような気がして内心穏やかではない。

            (だいたい、卓朗君も余計なことをなさる。

             あの方がコレを連れてこなければ、あんな騒ぎにならなかったのに。

             しかも、置いていくなどと!ぷれぜんとだかなんだか知らないが迷惑な事だ。)

            

            あの雨の日、主上は奏国の太子とそのすう虞を伴って帰ってきた。

            すう虞は厩舎へ連れて行かせ、その後会食がもたれた。

            その席で卓朗君は、陽子に蒼夜を贈ると言ったのだった。

            事件が起きたのは翌朝。

            こともあろうに朝議の席に乱入してきたのだ。この妖獣は。

            厩舎の役人を蹴散らし警備の兵を翻弄して、まっすぐ玉座へやって来た。

            誰も主上を庇う隙がなく、主上の足元に降り立ったすう虞。

            多くの官吏の悲鳴にも似た声があがる中、すう虞はゆうゆうとその場に座り込み、主上の膝の上に その顎をのせた。

            主上に向かってなんという無礼!!

            思い出すと今でも怒りがこみ上げてきて、景麒は思わず拳を握っていた。

            (しかも、あろうことか目を細めて主上の膝にスリスリと顔をすりつけて…)

            「景麒…どうした?景麒!」

            陽子の呼ぶ声で我に返った景麒は心配そうに見上げる目をみつけてドギマギした。

            「お前、疲れてるんじゃないか?ちゃんと休んでるのか?」

            慌てて書類を受け取り、御璽を確認する。

            「ご心配にはおよびません。それより、そのすう虞ですが、いつまでお手元に置かれるのですか。

             このままでは、他の者に示しがつきません。」

            「いいじゃないか。あれから朝議には入らないようになったし、此処と正殿以外には出ないようにしてるし。

             宮中で乗りまわしている訳じゃないんだから。」

            結局、あのあと朝議はすぐに終わったが、厩舎の者がどんなにしても陽子からすう虞を離すことは出来なかった。

            捕り手をするりとかわすとすぐに陽子の側に来る。

            だが、牙を剥いて威嚇するようなことはなく、捕り手をからかっているようにも見えた。

            しかたがないので陽子が提案するまま、正殿と執務室は出入り自由としたが。

                           不思議とそれからは、朝議に乱入することもなく決められた場所で悠々と暮らしている。

            「良く言い聞かせたからな。」

            そう言って主上は蒼夜の頭をなでている。

            (言い聞かせて解るのならば、とっとと厩舎に戻るように言って下さい!)

            思わず言いそうになる言葉をこらえて、蒼夜を睨む。

            気持ちよさげに目を細めた蒼夜。

            正殿と執務室に主上が居る間、けっして離れず付いて歩いている。

            大きく一つため息を漏らすと景麒は一礼して退室した。

            (御前を離れずと誓ったのは私なのに…)

            ふと、そう思い、そう思ったことに狼狽える。

            (な、なにを馬鹿なことを。これではまるで蒼夜に嫉妬しているようではないか。私はあのようにベタベタと主上に

             くっつきたい訳では…)

            完全に否定出来ない想いがあることに気づいた麒麟は顔を覆った。

            (アレが羨ましいなどと…なんたることだ…)

 

            遅々として進まない筆に何度目かのため息が重なったとき、景麒のもとに陽子がやって来た。

            「このような夜更けに、どうなさったのです。知らせを下さればこちらから伺いましたものを。」

            立ち上がり心配する麒麟に苦笑する。

            「いや、ちょっと話がしたくなってね。此処には蒼夜は来ないし。」

            言われてあらためて周りを見るが、確かにあの獣はいない。

            机に積まれた書類を見た陽子は少し困ったような顔をした。

            「珍しいな、まだこんなに残ってるなんて。まあ、今すぐって言う話じゃないから又あと」

            「かまいません。これも至急というわけではないので。」

            陽子が言い終わらないうちに景麒がさえぎった。

            「そうか?それなら…ほら、美味しそうだろ?一休みしないか。」

            陽子が笑って色とりどりの菓子を広げる。

            柔らかな明るい色に景麒も微笑んだ。

            「そうですね。では、お茶を」

            「いや、私が煎れる。」

            陽子が制すると、驚いた声が返る。

            「主上が煎れて下さるのですか」

            「祥瓊たちに教わったんだ。けっこう上手いんだぞ。」

            暖かい湯気と香ばしいかおりが広がる。

            その慣れた手つきを見て景麒は不思議に思う。

            (いつの間にこのようなことがお出来になるようになったのか)

            「此処へ来たのは、別にコレといった話があった訳じゃないんだ。まあ、強いて言えば遊びに来たっていうか…」

            「遊び…ですか」

            「そう。用事がなければ王と麒麟が会ってはいけないってもんじゃないだろ?」

            「それはそうですが…」

            まじめな景麒の顔をみて苦笑する。

            「蒼夜を見ていて思ったんだけど…あいつ、景麒が来ると、ことさらくっついてくるんだ。」

            「は?」

            「前からおかしいとは思ってたんだけど、他の人の時は窓から庭へ出たり、そのまま床で寝てたりするのに。

             お前が来るといつでもすり寄ってくるんだ。変だろう?」

            「私の時だけですか…(やはりそうか)しかし、なぜでしょう。」

            舌打ちしたい気分に駆られる景麒だが、笑っている陽子に首をかしげる。

            「蒼夜は、景麒をライバルだと思って居るんだ。」

            「らいばる?」

            「妖獣をならして騎獣とするそうだが、そもそも妖魔と妖獣の区別ははっきりしないと聞いた。きっと蒼夜は

             妖魔並の感のよさで、私に対する景麒と他の連中との繋がりの違いに気づいたんじゃないかな。だから、

             景麒には私を取られそうだと思ってあんな風にくっついて牽制しているんだ。」

            「繋がりの違い…」

            「お前は私の半身じゃないか。お前の命は私のものでもあるんだから。他の連中とは違う特別な関係だろう?」

            「確かにそうですが…」

            「蒼夜は景麒にヤキモチを焼いているんだ。可愛いよね。そんな風になるわけ無いのに。」

            自分にも覚えのある感情を「可愛い」といわれてうなだれた景麒だったが、最後の言葉が気になった。

            「そんな風とはどんなことでしょうか。」

            「え?ああ、景麒に取られるってこと。」

            「あり得ないことだと?」

            景麒があまりにも真剣な顔で聞くので陽子は苦笑した。

            「蓬莱にはアニマルセラピーという言葉があってね。動物と触れ合うことで精神的に癒やされる事を利用した

             治療法なんだ。確かに、蒼夜といると余計な緊張感が無くなって癒やされるけど、でも蒼夜はあくまでも

             騎獣なんだ。可愛い動物なんだ。私の半身である景麒と同列に比べるものじゃない。私にとって、景麒は特別

             なんだから。取るとか取られるとか以前の問題だ。そうだろう?」

            景麒は目を見張ったまま何も言えなかった。

            「まさか、お前、蒼夜と自分を同列に考えてたのか。」

            「申し訳ありません。」

            目を伏せてうつむく。赤くなった景麒を陽子は初めて見たと思った。

            「これだものなぁ」

            くすくすと陽子は笑いだしたが、ふとまじめな顔になる。

            「こんな風に景麒と話したのは随分久しぶりのような気がする。

             朝議で顔を合わせていると言っても、談笑している訳じゃないし。

             忙しいけど、やっぱりこういう時間は必要だな。毎日は無理でも3日に1回とか。」

            「雑談の時間ですか。」

            「お互いの理解のための時間だ。私は蓬莱の生活のことを話そう。少しでも景麒に知って欲しいから。

             景麒は蓬山公だった頃のことや、此方のことを教えてくれ。言いにくいことは言わなくてもいいから。」

            「…4日に1回位なら今日のように時間がとれるでしょう。」

            「よかった。楽しみだな。」

            「はい。」

            陽子の笑顔につられて景麒も微笑んだ。

            「では、この次は私が茶菓子を用意しましょう。延麒に教わった美味しいものを。」

 

            正殿の片隅で蒼夜はウトウトしていた。陽子は仁重殿へ行くと言っていたからしばらくは戻らないだろう。

            「芥瑚殿か…」

            蒼夜が顔を上げたその先に芥瑚が現れた。

            「お休みの所申し訳ありません。」

            「なんの。で、首尾は?」

            「はい。おかげさまで、なんとか。景麒は主上と歓談の約束をしておりました。」

            「それは、上々。そろそろ、厩舎で眠れそうだな。」

            「本当に無理なお願いを快くお引き受け下さいました。蒼夜殿、感謝しています。」

            「何ほどの事でもない。かえってこちらも楽しかったからな。陽子は別嬪だし。これも何かの縁だろう。」

            蒼夜がくつくつと笑う。

            「不思議なご縁ですね。あのとき蒼夜殿にお助けいただかなければ私も景麒も此処にはおりません。」

            景麒が幼かった頃、黄海の中の出来事だった。小物の妖魔を折伏しようとしていた景麒は逆に他の妖魔に

            襲われたのだった。景麒は幼かったから覚えてはいない。だが、芥瑚は今でも思い出すと震えが来る。

            蒼夜が現れて不意をつかれて怪我をした景麒を運んでくれなければ…。

            二十数年ぶりに思わぬ所での再会だった。

            「まさか、あのヒナだったとはな。芥瑚殿に会わなければ解らなかった。」

            白いすう虞は珍しい。蒼夜が来た晩、もしやと思った芥瑚は厩舎を訪ねたのだったが。

            なつかしく話しているうちに、つい心配事を話してしまった。

            主上に親しい友人が出来るたびに景麒との距離が離れていってしまうこと。

            景麒も主上のお側にいることを望んでいるが前王とのこともあり積極的に一歩踏み出すことが出来ないでいること。

            蒼夜はそれを聞いて笑いながら請け合ってくれたのだった。なんとかしてみよう、と。

            「手に入りにくいものほど魅力的なものだ。まして、手に入れた者に見せつけられてはいやでも自覚するだろう。」

            「それにしても、蒼夜殿はこのままでよろしいのですか。黄海にお戻りにならなくても?」

            「此処もそう悪くない。しばらくあの別嬪さんの騎獣をやるのも楽しそうだ。

             まあ、飽きたらそう言うから、その時は芥瑚殿に此処から解き放って貰おうか。」

            「喜んで。」

            「女怪というのも大変だな。あたら美人が麒麟の守り役とは勿体ない。」

            「そういう運命ですの。そのお言葉は以前にもうかがいましたわ。」

            目を伏せて穏やかに微笑む芥瑚を見て蒼夜もクスリと笑う。

            「そうだ、そして今のように返されたんだったな。」

            

            

            

            〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

                           お絵かき掲示板で4000HITのお祝い絵を鏡月様にいただきました。

                      その絵がなんと蒼夜だったのです〜〜!キャ〜嬉しい〜〜v

                           その絵を見ていたらどうしても蒼夜のことが書きたくなってしまって…

                           書いてしまいましたですよ。素敵絵とは似てもにつかない駄文を。

                           なんか、蒼夜オヤジくさいし(すう虞としては若ものの設定だったはずなのに、偉そう)

                           芥瑚口説いてる(え?)し。笑って許せる方だけお読み下さい、って手遅れか…

                           鏡月様に捧げますv(迷惑だな、きっと)

                           これからもよろしくお願いしますvv

                           鏡月様の「陽子と蒼夜」のイラストは<頂き物>に飾ってあります。