女官のないしょ話

 

    ああ、今日もお兄様の怒鳴る声が聞こえる。

    もう、何万回聞いたかしら。お元気なのはけっこうだけど、正寝の前で怒鳴らないで欲しいわ。

    王宮中に響いて恥ずかしいったら。

    この間なんか、冢宰の白沢様に

    「今日は兄上のお声がしませんでしたが、どこかお加減でも……」

    て、言われちゃって……。ピンピンしているんだから……はあ。

    でもまあ、お兄様の声がすると言う事は、主上はお留守なんだわね。

    主上も懲りずによくお出かけになること。台輔もご一緒の様子ね?

    これでよく500年も続いているわねえ。

    先代の延王さまはとても良いお方だった。最後の何年かは、酷い事をなさったけれど。

    お友達の女官も沢山殺されて、我ながらよく生き残れたと思うわ。

    いったい、どんな魔が差したのか。誰にも解らない事だけれど……。

    今の主上の尚隆様も、いつそうなってもおかしくはないわ。

    今はまだ、そんな素振りは見えないけれど。

 

    「輝花(てるか)さま…。みんな揃いましたので、北宮へお願いします。」

    朋輩の女官に声をかけられ、我に返る。

    ああ、北宮のお手入れに行かなければ。

    朋輩の女官や下女達と回廊を渡り北宮の扉を開ける。

    北宮は王の正妃や愛妾のお住まいになるところ。

    歴代の王妃や愛妾のお使いになった部屋に、風を通しほこりを払い、調度や装身具の

    お手入れをする。いつでもすぐに使用できるように。

    でも、500年以上の長きにわたって、此処の主となられるお方はいらっしゃらない。

    「不思議よね〜。主上も結構おもてになられるのに、こちらにお召し上げになった女性が一人も

     いらっしゃらないなんて。」

    「あら、芙嬉(ふき)。ご自身がそうなりたいのね?」

    「いやだ、麗羅(れいら)ったら。まさか。亡霊の仲間入りなんてゴメンだわ。」

    「私も、正寝のお手伝いが良かったわ。ここはなんだか、薄ら寒くて。」

    「や、やめてくださいよう〜、燈姫(とうき)さま。それでなくても私、この間ここで白っぽい人影

     見ちゃって…。怖くって」

    若い女官が泣き声を出し、朋輩達がからかう。

    たしかに此処には何かがいるらしい。何人もの目撃者もいる。

    随分と前から、日暮れ以降には、北宮に立ち入ろうとする者はいない。

    くすりと笑って、輝花は次の間に向かう。

    そう、此処は後宮なのだから。

    長きにわたって麗人達が妍を競い、寵を得ようとしたところ。

    寵は権力につながり、陰謀へ発展する。

    愛も憎しみもかさなって、亡霊の一人や二人、むしろいない方が不思議だと思う。

    そんな物を怖がっていては、王宮の女官は務まらない。

    むしろ怖いのは、陰謀を画策する生きた人間だわ。

    輝花は手鏡を磨きながら思う。

 

    金銀・宝玉で飾られ何代もの王や正妃達が贅を尽くした王宮は、

    でも、尚隆様が王におなりになった時そのほとんどが売られてしまった。

    ただ、がらんとした薄暗い堂しつの中で、呆然としてしまったのを覚えている。

    歴代の王の御物も残らず売られて、悲しくって涙が出た。

    そうしなければ、雁の民が生き残れなかったのはわかっているけれど。

    その時尚隆様は約束して下さった。

    「人の命は、一度失ったら金で買う事などできんからな。

     宝なぞ、今に国が富めばイヤでも増える。

     今まで、宝を守ってきた者には辛いだろうがしんぼうしてくれ。」

    500年の間に国は栄えて、売り払った物も倍以上の値で買い直し、

    古びた物は直し、新しい物も増やして。

    以前にも増して、北宮は煌びやかになった。

    「この鏡は古びていて、何度磨いてもあまり綺麗にならないけど…」

    誰の物かも分からないほど古くからある鏡。

    あの手鏡は4代前の王妃の物。

    こちらの披巾は、もっと前の女王の。

    

    ああ女王と言えば、三日後には慶国の陽子様がおいでになる。

    今頃、正寝では留花(りゅうか)と玉栄(ぎょくえい)が張り切ってお部屋の準備をしているはず。

    何度か休暇においでになる度に、陽子様のお人柄に触れた女官が 陽子様贔屓になっていく。

    留花と玉栄もその口だから

    「陽子様は、余り華美なものはお好みではないのよ。」

    って、釘を刺しておいたけど、さてどうなっているやら…。

    まあ、主上からして陽子様ご贔屓なんだから、無理もないけど。

    陽子様の御休暇のために、わざわざ主上自らお迎えにいくんですもの。

    陽子様の登極時に助力したとか、胎果のよしみとか言うけど、

    本当にそれだけかしら?

    今に、この北宮に御逗留いただく事になるかもしれない。

    そうなったら、ステキだわね。

 

 

 

                    陽子が休暇で玄英宮を訪れる3日前、と言う設定です。

                        輝花は延王側近ですぐ怒鳴っているお方(笑)の妹で

                        先代の王に使えていた女官の生き残りという設定です。