「紅」(くれない)
紅葉した葉が舞い落ちる。
その中を、ひときわ紅い髪が踊る。
舞い落ちる木の葉よりも華麗に流れるその人の髪は、陽を受けて血のように紅い。
舞姫の一行と知り合ったのは、二日前。
山賊に襲われかけていたのをたまたま助けた。
舞姫の噂を聞きつけた州候の招きを受けて。
州城に赴く途中の一行は総勢6名の朱旌(たびげいにん)。
偶然行き先が同じだったせいもあって、用心棒がてら同行しているが。
「風漢はどんな用事があるの。」
舞姫がやや低い声で尋ねる。
肩に流れる髪は紅く。
こちらを覗き込む瞳は、けれど見知った翡翠ではなく深い琥珀。
紅(コウ)と名乗った舞姫。
「少し…確かめたいことがあってな。」
雁と国境を接する慶国建州。
その中央にほど近い目的の地に馬車は向かっている。
「ふう…ん。風漢って何をしている人?お役人には見えないし。」
楽人の一人が聞いてくる。
「強いから軍人さんかしら?」
「何処かの州師の将軍とか…。」
「あら、将軍がこんなところでウロウロしていたら可笑しいわ。将軍職はそんなにお暇じゃないでしょうよ。」
「そうね。物腰が柔らかだから、何処かの若様とかだったりして。」
「何処かのって何処なの?」
「お金持ちの商家とか学者様とか身分の高いお大尽の家とか…」
「うわぁ、玉の輿ね〜。紅ガンバレ〜。」
「そんでもって私たちに楽さして〜。」
「う、うるさいなぁ。ほら風漢が気を悪くするじゃないか。せっかく一緒に来てくれてるのに。」
仲間にからかわれ、頬を染めて文句を言う舞姫のぶっきらぼうな言い方に、もう一人の紅い髪の少女を思い出す。
(あまり思い詰めていなければいいが…)
外の荒れ地に広がる、地面に這いつくばるようにして建っている集落を見る。
一目で今まで通ってきたどの村より貧しいのがわかる。
荒民の村。
雁にいた巧の荒民が慶国の誘致に答え集まって出来た村。
この村を過ぎればじきに州都の郭壁が見えてくる。
(さて、どうするかな。州城に入るには良い機会だが…)
そろそろ日も沈もうというのに煮炊きの煙一つあがっていない集落を、風漢は痛ましそうに見やった。
すっかり日が暮れ暗い村の道を、疲れ切った人々が行き交う。
ようやく今日の労働から解放され、わずかばかりの報酬を握りしめて寝床へ向かう。
住まいと言うにはあまりに粗末な建物。
支給される食物は一日のうちの一回分だけで、売っている食べ物を買えば今日の稼ぎは無くなってしまう。
空腹感は満たされることが無く、ひもじさと疲労で誰もが無口になっていく。
「妖魔に追われるよりはと国を出たけど、いったい何時までこんな暮らしが続くんだろう…」
薄暗い戸を手探りで開けようとした女は、すぐ脇に人が立っていることにようやく気がついて、ギクリとその動きを止めた。
「すまない。脅かすつもりはなかった。道に迷ってしまって…。」
すらりとした体つきは見て取れるが少年か女か暗くて解らない。
女は黙ったまま、戸を開けるとそのまま中へ入ろうとした。
「あ、私は陽子という。実は人を探しているんだ。鹿北の張という人を知らないだろうか。」
「鹿北?知らないね…。」
「以前巧でとても親切にして貰った恩人なんだ。何とか知ってそうな人はいないだろうか。」
「あっちの家には年寄りが大勢いるからそっちで聞いてみると良い。ここは私一人だから。」
「ありがとう。助かった。あ、そうだ、これ…気持ちだ。じゃあ。」
女の手に柑子を二つ渡すと示された家に向かって歩き出す。
女はしばらく手の中の柑子を眺めていたが、やがて家の中に戻っていった。
わずかな灯りのともった家でやっと中に入れて貰った陽子は、そのありさまに目を見張った。
先程の家と大きさは大差ないようだったが、床にも土間にも人が溢れていた。
これではせいぜい横になるだけのスペースしかとれず寝返りを打つのも難しそうだった。
見回すと中高年と若い男が多く、女は少ない。
「鹿北の張という女性を捜しているんだが、どなたか心当たりの人はいないだろうか。」
来訪者の問いに人々はひとしきりざわめいたが、確たる声はあがらなかった。
「張、何というのかね、字は?」
「それが…解らなくて。半獣の息子さんがいたことしか…」
「鹿北の張というだけじゃなあ…」
「…そうですか。お疲れのところすみませんでした。」
周りを見回し頭を下げる。
鹿北の張…楽俊の母親は、今関弓の息子のところにいる。
人捜しは単なる口実でここに入るきっかけが欲しかったに過ぎない。
この村の窮乏は予想を遙かに上回っていた。
誰もが疲れ切っているのに暖かい食事などした様子もない。
布団もなく上着を着込んだまま横たわっている。
夜露はしのげそうだが、雨が降れば雨漏りがしそうな造りは、窓が開いているのかと思うほどすきま風もひどい。
「あの…先程の人のところは1人だと言っていました。こちらは随分と人が多いんですね。」
遠慮がちに陽子がいうと誰かが嘲るように答えた。
「此処の兵士がそう割り振ったんだ。若い女ばかり1人にしてサァ。酷い話さね。」
「若い女ばかり…」
「魂胆が丸わかりじゃないか。役人や兵士が通ってくるのさ、わずかばかりの食い物をちらつかせてね。」
彼らは何も知らされていないのだろう。
聞けば、受け取っている賃金は国で取り決めた額の半分にも満たない。
豊かではなくとも最低3食の食事が出来るだけの配給をしているはずなのに、あとの2食分はいったい
何処に行ったというのか。
奴隷のような扱い。
あってはならないことが起こっている!
彼らの話に目を見張った陽子は怒りに髪が逆立つような思いがした。
「すまない…」
頭を下げ、陽子は先程の女の家に戻った。
煌びやかな光に包まれた大広間では州候の呂布が上機嫌だった。
商人や船主が次々にご機嫌伺いにやってくる。
宴たけなわのころ、旅の一座が現れた。
奏でられる曲は「蒼穹」。
王の統治が永く続いて良い天候に恵まれますように、何処までも続く青い空のように主の統治も続きますように、
という意味のこの曲は、およそ300年ほど前に雁の花街で流行ったもの。
今では楽曲を嗜む者なら一度は習うほど広まっている。
澄んだ笛の音が青空を表し、鮮やかな紅の髪が舞い踊る。
その舞に色づいた秋の野山や暖かな日だまりや澄み切った空気が感じられて、人々は此処が大広間という閉ざされた
空間であることを忘れそうになった。
「いや、見事じゃ。招いたかいがあったわ。褒美を取らすぞ。」
「ありがとうございます。」
「それにしても、見事な紅い髪じゃの。これならうってつけじゃ。」
「…?」
「太夫にはちょっと頼みがあってのう。なに難しいことではない。明日、綺麗な襦裙を着てちょっと出歩いてくれればよい。
荒民を視察に来た景王様の役どころでな。」
「景王様…」
「話はこちらで良いように取りはからう故、太夫は適当に相づちを打ってくれればよい。簡単であろう?」
「…なぜ、とお聞きしても宜しいでしょうか。」
「ふん…解せぬか。良かろう。」
「荒民どもがこのところどうも反抗的でのう、なかなか仕事がはかどらぬ。しかも待遇に不満を漏らす者も多い。
このまま暴動など起こされても迷惑ゆえ、主上のお力をお借りしようと思っての。元々彼らを招いたのは主上じゃからのう。
主上が自ら視察していったとあれば、あの連中も少しは大人しくなるだろうて。」
「主上もご多忙でのう、こんな事で御手を煩わせては申し訳ない。そこで、太夫に主上の代役を頼んでいるのじゃが。
なに、誰も主上を知らぬのだからわかりはせん。…どうじゃ、やってくれるであろう?」
芝居であれば王様の役など何度でもやってはいたが、今回のこれはわけが違う。
本物の兵士に囲まれ、高官がいる中で王様のふりをする…恐れ多いことだ。
それに、多くの民を欺くことになるのではないか?
とても出来そうもない…そう言おうと顔を上げた紅は広間にいる兵士が矢をつがえてこちらを狙っているのを見た。
見渡せば、そこかしこに兵士がいる。
ことごとく矢をつがえて一座の者を狙っていた。
「どうじゃ、太夫。命と引き替えでは、否とは言えまい。今夜のところはおとなしゅうしていることじゃな。」
「待ってくれ、州候殿、頼みがある。」
「…風漢。」
「なんじゃ。」
「紅も1人じゃ気後れするだろう。せめて側に付いていてはいけないか。」
「ふん、…それもそうじゃの。王様がオドオドしていてはいかんのう。ただし、余計なことをすれば、他の連中がどうなっても
知らぬぞ。…連れて行け。」
一行は州城の一室に連れて行かれた。
牢ではなかったものの、厳重な見張りが付き逃げられそうもなかった。
「なんでこんな事に…。」
「畜生、あいつ、最初からこうする気だったんだ。州候のお呼びなんて、うますぎる話だと思ったよ。」
「紅、あんた大丈夫?震えているじゃないか。」
「だって…もし、失敗したら…王様の振りなんて…きっとばれるよ…」
そうなれば、命はない…誰もがそう思い、しんとしてしまった。
「まあ、そう悲観するな。紅、お前王の役をやったことがあるのだろう?その時のことを思い出せ。どんな風に演じた?」
「…風漢。えっと、悪い高官をやっつけた景王赤子の役…颯爽としていてまっすぐ前を見るようにしてた…。」
ふ、と風漢は笑顔をみせた。
「上出来だ。目を伏せたり、下を向いたりせずにいつも前を見ていればいい。大丈夫、うまくいくさ。」
「…そう?…大丈夫…かな?」
「ああ、大丈夫。きっとできるさ。」
「うん…頑張る…。風漢…あの、明日は側にいてね…。」
「ああ、任せておけ。」
くしゃりと紅の頭を撫でると、つと立ち上がって部屋の窓際へ移動する。
「もう遅い。休んだ方が良いだろう。」
風漢の声に皆やれやれと寝支度にとりかかった。
ばたばたと支度をしている皆に背を向けて、窓の月を眺めているふうを装う。
(首尾は?)
小声で尋ねれば、何処からともなく密かな声がする。
(地下の倉庫と兵舎は雁からの物資で溢れています。おそらく…)
(わかった。悧角、すまんがもう一つ頼まれてくれ。)
もうじき雁から次の援助物資が届くはず。
決められたとおりに配給していれば前回の物資はそろそろ無くなる頃合いなのに、倉庫には溢れているという。
出し惜しみをして、残った分を横領か…いや、最初から上前をはねたか。
(横流しをして儲けているな…)
宴席に居た商人や船主は共謀者だろう。
王の視察などと、自分達のツケを景王にまわすつもりか。
(それにしても…あの男の思惑どおりというのは面白くないが…。わざわざ憎まれ役を買ってでるとはな、頼もしいことだ。
俺が動くことも承知の上だったりしてな。…まあ、せいぜい貸しを作っておくさ。)
渋る女をなんとか説得してようやく今夜の寝場所を確保した陽子だったが。
程なく役人とおぼしき男がやって来た。
一夜を女のもとで過ごすつもりだった男は居合わせた陽子に不審な目を向けたが、荒民ではなく尭天に住んでいると言うと
態度を軟化させた。
流石に同じ国の者にまでは居丈高にはなれないようだ。
一つ咳払いをすると女に向かって話し始めた。
「実は、明日景王様が視察に御出になる。お前達が此処にいられるのも景王様の特別のお慈悲であるから、
今回お前達から御礼申し上げよと州候からのお達しでな。どうだ、やれるな?」
「『景王様のおかげで巧の民は感謝しております。有り難うございます。』これだけだ。なあに、タダとは言わんさ。」
そう言うと男は赤い小麦粉の包みを置いた。
「いっとくがこれは俺の裁量で持ってきたのだからな。首尾良く出来ればまた持ってこよう。
これくらいなら俺にも自由がきくからな。お前は物わかりのいい女だから解っているだろうが、
死にたくなければ余計なことは言わないことだ。いいな。」
物騒な物言いを残して男は帰っていった。
女は小麦の袋を抱えてつぶやくように言った。
「感謝しています…だってさ…。この暮らしの何を感謝しろって言うのよ。ばかばかしい…。いっそ、言いたい放題
ぶちまけて殺されるんならそれでも良いかもね…。」
「もう寝るわ。灯り消して良いよね。」
陽子は暗闇のなかで赤い小麦の袋を思い返していた。
雁にいる巧の荒民を慶に受け入れようと提案したのは、陽子だった。
慶はようやく人口も増えてきて、新田の開拓が進められていた。
だが、道路や水路の整備をするにはまだまだ人手が不足している。
折角開拓した土地も水路の不足により十分な実りが得られない。
そこで、食料は雁の後押しを受けることにして水路の整備に巧の荒民を誘致したのだった。
重労働で低賃金ではあるが、自分達の村が出来ると聞いて荒民達は喜んでやって来た。
とりあえず、雁に近い建州から整備を始めることにして州候に直接管理をするように指示した。
それから二ヶ月。
順調であるとの州候の報告はあったが、ずっと気になっていた。
視察を希望したが多忙を理由に浩瀚に却下されていた。
そんな矢先だった。
三日前、王宮にはいささか不似合いな赤い小麦の袋を携えて雁の朱衡と帷湍がやって来た。
相変わらず金波宮に遊びに来ていた尚隆のもとに来て人払いを願い出た。
居合わせたのは、尚隆の他、陽子、浩瀚、六太、景麒。
朱衡は先程まで貿易のことで戴に行っていた。
「そこで、この様な物を手に入れて参りました。」
小卓の上に赤い小麦の袋を置いた。
「かなりの量が戴の港町で売られておりました。聞けば、この荷が出始めたのは二ヶ月ほど前からとか。」
穀物の輸出は雁の国の大きな利益になっている。多くの国との貿易が盛んでその輸出量も半端ではない。
国家間で公式に貿易が成されていなくても民間レベルのやり取りも盛んで、言い換えれば大概の国に雁国製の穀物は
入っていると言って良かった。
だが、この赤い小麦の袋は、荒民を受け入れた慶の為の援助物資として特別に造られた物だったのだ。
大きさも小分けする手間を省くため今までになく小さな物にしてある。
ただし、赤い袋が援助物資専用の特別な物であるということは公にはされず、此処にいる者しか知らない。
荒民のためだけに作られた市場に出回るはずのない品物が、なぜ遠い戴の港町で大量に売られているのか。
「荷が着くのは調度こちらの荷が慶にとどいてから7日過ぎた頃で…」
援助物資は国境で雁と慶の役人が立ち会いの下で受け渡しが行われる。
雁は帷湍がその任にあたって直接目を光らせている。
慶は建州州師が護衛を兼ねて移送している。
誰かが横流しをして搾取している…
では、食物の大部分を雁からの援助に頼っている荒民達はどうしているのか…
「浩瀚…お前、気付いていたな。私が視察に行くのを止めていたのはそのせいなんだな?」
怒りをはらんで陽子が言うが
「無論です。密かに様子を探ってみましたが、荒民の窮状はかなり深刻なものです。
ですが、なかなかシッポが掴めないのです。どうやらかなり上層部の者の仕業のようで、うっかりすれば肝心な
親玉を取り逃がす恐れもあります。」
あっさりと流されてしまう。
「上層部の者が相手では、荒民の様子など問えば証拠を隠されるだけでしょう。ですが、そろそろ荒民達の中にも
現状に耐えかねて動き出す者もおりましょう。」
「浩瀚…まさか暴動を。」
青ざめた顔で景麒が見やる。
「まさか、それを待って居るんじゃないだろうな。」
悲痛な色をした翡翠をまっすぐに受け止める。
「はい。ですが、暴動は避けたいので、その様な気配が高まってきたらすぐに知らせが入るようになっています。
そうなれば、ちょっとした小競り合いでも管理不行き届きとして、州候以下主だった者を捕らえる事が出来ます。
出入りの商人や船主の身元もわかっていますので同時に調べることが出来ましょう。」
どうしても我慢できずに王宮を抜け出したのは夜明け前。
確かに、浩瀚の言うことももっともだが、それまでに荒民がどれだけ辛い思いをしなければならないのか。
それを思うと居てもたっても居られなかった。
景麒が青い顔をしながらも使令をつけてくれたのは、事がどれ程重大なものなのか解ってくれたから。
この荒民対策が軌道に乗れば各国にも働きかけて、いずれ荒民の支援を全国に広めたい。
どんな国でもいずれ荒民が出る運命は変えられない。
ならば、荒民を支援していくことの必要性を理解してもらうためにも。
この最初の試みを自国の役人の横領などで頓挫させるわけにはいかない。
「視察が済みましたら必ずお帰りください。」と景麒に念を押されたが。
さっきの男のセリフには思わず
「この小麦はお前が自分の裁量で取り扱って良い物ではない。」
と詰め寄ってしまいそうだった。今相手を警戒させては元も子もない。
(明日景王が視察?私は何も聞いていないぞ。それを見てから一度帰ることにしよう。)
すきま風を避けるように陽子は寝返りを打った。
翌日、早くから別室に呼ばれていた紅がようやく戻ってきた。
美しい襦裙をまとい髪を結い上げ、髪飾りも華やかに。
「ひゃあ〜。驚いた。女王様だよ。」
「たいしたモンだ。これならバレっこないや。」
「…そうかな、大丈夫かな。」
「よく似合って居るぞ。」
州師将軍の格好をした風漢が剣をさしながら笑う。
「風漢こそ…、本物の将軍みたいだ。」
「女王様の側にいるにはこれくらいじゃないとな。」
「…わかんないなぁ、風漢って。昨日の笛も上手だったし。何処で習ったの?」
「昔…ちょっと、花街でな。…迎えがきたようだな。」
扉を見やると役人と兵士が入ってきた。
「さて、行こうか、女王様。」
風漢の差し出した手に紅はそっと手を伸ばした。
州城から華車で移動する。
華車の前で呂布が礼を取っていた。
「これは主上。わざわざのご視察、有り難うございます。荒民達は村はずれで待っておりますゆえ、どうぞお乗りください。」
軽く肯き車に乗り込む。
「…しらじらしい…何が主上だ…。」
憮然として紅がつぶやくと風漢が苦笑した。
「なかなかいいぞ、本物のようだ。その調子でな。」
「本物みたい…って、風漢は見たことあるの。」
風漢は意味ありげに笑っただけだった。
荒民達は村はずれで待たされていた。
取り囲むようにした兵士達からすでに箝口令が出され、数人の男女が最前列に立っていた。
陽子が昨夜宿を借りた女もその中の1人だった。
どうやら、景王に御礼を述べる役柄を命じられた者なのだろう。
どの顔もかなり不服そうな顔つきをしている。
目立つ髪を布でくるみ、陽子は村人の中にいた。
今朝の食事風景を見かけたが、広場で大鍋に出されたものは小麦粉を練った団子を煮込んだ汁物だった。
それを椀に一杯だけ。
たったそれだけで一日の労働に耐えられるわけがない。
力強い兵士と疲弊した村人との間に立って。
陽子は人の上に立つことの難しさ、政の難しさを思った。
どんなに良かれと思い練ってきた政策でも、それがどこかでねじ曲げられ搾取されれば意味がない。
一番必要な人々にそれが伝わらないのだ。
慶の民だって長いこと国が荒廃し、荒民となって苦しんだ。
それはまだそんな昔では無かったのに。
そして、それは遅かれ速かれ将来必ずやってくるものでもあるのに。
なぜ、解らないのだろう、明日は我が身だと。
上に立つ者が弱い者を踏みにじる行為など許されない。
悲しみと怒りが静かに陽子を埋めていった。
ようやくやって来た王を村人は跪礼で迎えた。
手を引かれ優雅に歩く女王。
王は人ではなく神である。
顔を上げるように言われても畏れ多さになかなか顔が上げられない村人が多い。
「え…」
赤く輝く髪の女がまず目に入った。優雅な立ち姿。
だが、その手を引いている兵士の姿が陽子を驚かせた。
(なぜ此処に?)
州候が得意げに傍らに立ち
「勿体なくも、主上御自らお立ち寄りくださり、我ら感激に堪えません。つきましては、巧の民が一言御礼を申し上げたい
と言っております。どうぞお聞きくださいますようお願い申し上げます。」
5人の荒民がゆっくりと前に出て伏礼した。
「…こちらでお世話頂き生きながらえて居ます。有り難うございます。」
「景王様にお会いできて身に余る光栄と存じ上げます…」
ほとんど顔も上げず震える声は畏れか怒りか。
それらを聞きながら女は頭の中で繰り返していた。
(子供と年寄りに暖かい食事を。瘍医を…言わなくちゃ…言わなくちゃ…)
「巧の民にお慈悲を有り難うございます…」
次だ、言わなくては!
「巧の民は…感謝しております。有り難うござ………」
きっ、と顔を上げた女は必死に声を絞り出した。
「景王様!…あの…あの、お願いがございます。」
呂布の顔色が変わった。
側の兵士が剣を振り上げる。
「無礼者め!」
「止めろっ」
(間に合わない!)と陽子は駆け寄りながら思った。
ガッ!!
鈍い音がした。
兵の剣を風漢の剣が防いだ。
「な、なにを…」
狼狽える呂布に平然と言い放つ。
「主上の御前を血で穢すな。…言わせてやるが良い。」
促されて女が口を開く。
「子供と年寄りにせめて暖かい食事と瘍医を…お願いでございます…」
肯いた風漢は、駆け寄ってきた陽子に笑いかける。
「だそうだぞ。聞こえたか、陽子。」
「確かに。」
そう言って陽子は髪を覆っていた布を取り払った。
紅く輝く髪があふれ、周囲にどよめきが広がっていった。
「あなたが居て下さって良かった。」
そう言った陽子から笑顔が消えた。
まっすぐに州候呂布を見据える。
呂布は未だ信じられなかった。
自分達の横領で生じた荒民の不満を、すべて景王の責任にしてしまうはずだったのに。
その為の一芝居だったというのに、いつの間にか役者が違っている…
今まさに自分を見据える目は。
この紛れもない威圧感は。
(…逃げなければ…その為には…)
「ええい、何をしている!くせ者じゃ!捕らえよ!」
周りの兵に叫ぶ。
一瞬のとまどいの後、陽子達の周りを取り囲む兵達は、しかし剣を抜く手を止めてしまった。
上空から空行師の騎獣が次々と舞い降りてきたのだ。
それはまさに兵達の後ろに隠れ逃げ出そうとした呂布の鼻先だった。
「ひいい…」
頭を抱え座り込む男を禁軍兵士が取り押さえた。
「主上、ご無事で。」
桓タイが陽子に礼をとる。
「延王様から知らせを受けまして参りました。州城はすでに押さえてあります。」
「手回しがいいな。まあ、いい。主だった者を捕らえよ。それから…まずは食事だな。」
「荒民の女達を手伝って食事の支度をしてくれ。みんなろくに食べていないんだ。後のことはそれからだ。」
「解りました。すぐに手配しましょう。ああ、それと延王様。」
「なんだ。」
「六太殿と朱衡殿から御伝言が。『何時までもほっつき歩いていないで、さっさと国へ戻るように』だそうです。」
「…わかった。」
ため息をつく尚隆を見やり苦笑する。
陽子は荒民達に向かった。
「私は景王陽子という。臣の専横に気付かず、あなた方に苦難を強いたことをお詫びしたい。
もう二度とこの様なことが起こらないように気をつけよう。もしこの先理不尽な事が再び起こるようなときには
声を大にして叫んで欲しい。先程の勇気ある女性のように。きっとその声は私のもとに届くと信じているから。
巧の国に帰る日までお互いに支え合って頑張りましょう。」
禁軍の登場に荒民達は混乱したが、陽子の話は民を落ち着かせた。
すぐに食事の支度の手配が始まり、荒民は喜びそれぞれの手伝いをするために村に戻っていった。
「…風漢、…延王様…」
呆然と紅がつぶやく。
「こう〜」
一座の者が駆けつけてきた。
「あの連中には内緒な。」
風漢が笑う。
紅は風漢と陽子を眺め一礼して仲間の所へ戻っていった。
「綺麗な人ですね。」
陽子が言うと
「ああ、あれで女ならな…」
「は?…ええっ!?」
「さて、帰るぞ。小言が待っているだろうな。」
思わず振り返って見やる陽子の手を引いて尚隆は歩き出した。
チラリと紅の髪が視界に入った。
暖かな日差しの金波宮の中庭で主の帰りを待ちながら、浩瀚と朱衡が談笑している。
美しく色づいた木々が中庭を華やかに彩る。
「どうやら上手くいったようですね。荒民の事業も無事続けられそうです。」
「…浩瀚殿の思惑どおり、でしょうね。」
「さて、それは…」
「かねてより建州候は表沙汰にはならなくとも色々と良からぬ風評が聞こえていたようですし…。
この際、荒民事業という餌をまいてどのようになるのか様子を窺っていたのではありませんか。
拙であればこの様な機会は逃さず大いに利用いたしますが。」
にっこりと笑顔で話す朱衡に眉をひそめてみせる。
「雁にまで風評が届いていたとは情けないことです。ただ、州候を剥奪するほどの証拠が掴めませんでしたので。
今回のことは一つの賭です。まっとうに荒民を扱えば良しとしましたものを。結果はご存じの通りですが…。
主上にはご内密に。勘気を被りたくはありませんので…」
「荒民の窮乏を隠していただけでもあのご立腹。まして最初からこうなるかもしれないと解っていてあの者に荒民を預けた
と知ったら…。清廉な主上を持つ者の苦労というところですか。拙もそんな苦労をしてみたいものです。」
「主上といえば、また延王君には大変助けて頂きました。昨夜の使令には少々驚きましたが。ご協力感謝致します。」
「いえいえ。あのような話を聞いてじっとしていられるお方ではないのです。大方今頃は慶に大いに貸しを作ったと
思っていらっしゃるかと。」
にんまりと笑う朱衡に浩瀚もニッコリと笑顔で答える。
「貸し、とはまた…。延王君にはこの金波宮の至宝である我が主上がいつもお相手しております故、
我々は借りどころかお釣りが欲しいくらいです。」
くくっと朱衡が笑い出す。
「ご多忙な景王君を事ある毎に連れ出しているようですからね。ごもっともです。今回は少々キツメに小言を
言ってやらねばなりますまい。…おや、先触れのようですね。」
「お帰りになったのでしょう。では、参りましょうか。」
それぞれの主を出迎えに行く朱衡と浩瀚。
主はまだ知らない。
城を抜け出した王達を出迎えるのは、二人分の絶対零度の微笑みであることを。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
長々とお疲れ様でした。
22222HIT キリリクは飛玉様より
「陽子・尚隆・朱衡・帷湍・成笙が尭天トラブルに巻き込まれる」でした。
うんわ〜スミマセン。帷湍にセリフがない!
成笙に至っては出ていない…。雁の中枢が全員慶に来てしまってはまずいだろうということで
成笙は留守番です(苦しい言い訳だなぁ)。
場所も尭天ではなく、建州ということで…。(雁に近いという理由で)
なんというか、これはトラブルなんだろうか…。
登場人物の前3人しかリクに添えていないです…ゴメンナサイ。
実は、「まぶしいキミ」のその後の巧の民の話でもあったりします。
慶のトラブルに巻き込まれるとしたら、荒民を挟んで支援される物資のトラブルが
一番考えやすかったもので。
それにしても長いです。これでもエピソードを随分端折ったんですが。スクロールバーがちっさい!
最後までお読みくださった方々、有り難うございましたv byみー