宣戦布告
「雨か…」
そう言って窓の玻璃から空をながめた男は、雨の中こちらに向かってくる男を見つけ顔をしかめた。
「なんだってあいつが来るんだ?」
ほどなく、その男は宿屋の入り口に立った。
「お客さん済みませんねえ。雨続きでご覧の通り満室なんです。他を当たって頂けませんか。」
番頭らしき男がしきりと頭を下げている、そのむこうに見え隠れする見知った顔。
「う〜ん。それは困ったなぁ。確かにいっぱいのようだね。」
そう言って、食堂になっている広間を見渡す。
空席はわずかで、半数は行商人。残りは物見遊山の客か。
そこに、わざとらしくそっぽを向いた男を見つけニッコリと笑う。
迷わず男の所へ行って声をかける。
「こんな所で奇遇だねぇ、風漢。」
風漢と呼ばれた男はため息をついて傍らの男を見上げた。
「…奇遇だな、利広。…ついてないな俺も…。」
「お知り合い?風漢。」
女性にしては低い、良く通る声がかかる。
振り返ると30代とおぼしき女が立っていた。
なかなかの美人だと利広は思う。
「まあな。ここの女主人(おかみ)の翠蓮(スイレン)だ。こいつは奏の利広。」
「折角おいでいただいたのにこの様な有様で…。利広様、風漢と相部屋でよろしかったら、夜具をお持ちしますが?」
「ああ、ぜひお願いします。雨の野宿より、風漢と同室の方がいくらかましですから。」
にっこりと人好きのする笑みを浮かべる利広。
「おい…」
「あと、食事をよろしく。」
「承知しました。ではごゆっくり御逗留ください。」
女主人が行ってしまうと利広はクスリと笑った。
「まあ、そうにらまないでよ。せっかくの食事が台無しになるから。」
「俺は相部屋を承諾した憶えはないぞ。」
「つれないなあ、私と風漢の仲なのに。」
「知らんな、どんな仲だ。」
憮然とした顔にすまして答える。
「腐れ縁。」
風漢はガックリとため息をおとした。
食後、家族連れで賑やかな広間に辟易して酒を頼んで部屋へ戻る。
「あれさえなけりゃ、良い宿だね。」
「飯も酒もうまい。女主人(おかみ)も美人だしな。」
「いつから此処に居るんだい?長居してそうじゃないか。」
「雨で足止めを食っただけだ。お前こそ、こんな所で何をしている?」
雁と柳の国境に近い街道ぞいに風光明媚で有名な観光地がある。
観光に訪れる裕福な雁の民を見込んだ煌びやかな宿が街道沿いに軒を連ねる。
その街道から少し奥まった場所に立つこの宿は、もともと仕事で旅する行商人が多く利用している。
いつもは旅慣れた者達の静かな宿なのだが。
「柳の様子を見に来てね。ついでに観光がてら此処まで来たら、あいにくの雨であっちの宿はいっぱいでね。
ここなら、空いているかもって言われてきたんだ。運が良いね、私は。」
「…こっちは最悪だ…」
――お酒、お持ちしました――
翠蓮が入ってくる。
「お待たせしました。」
酒瓶が並び杯が置かれる。
「へえ…。」
「奏の方には珍しくもないでしょうが…。」
奏の蒸留酒。
豊かな大地の恵みの酒。
水で割り檸檬の薄切りを浮かべる。
「いや、久しぶりだな、この酒は」
「風漢はこっちね。」
杯に注がれた液体は白く濁っている。
いつもの雁の無色透明な酒ではなく。
「にごり酒か…珍しいな。」
清酒と原材料は同じだが、その香りも味もずっと体に馴染むように染みこんでくる。
のど越しの熱さもいつもより穏やかで、だからこそ酔いがはやくまわりそうだと思う。
「今の貴方にはぴったりでしょ、迷いのある顔をしてたし。」
ぴくりと片眉を上げた尚隆は、けれど反論せず
「そうか…かもな。利広、どうだ一杯。」
「いいね。もらおう。」
杯に半分ほどにごり酒をもらい口に含む。
やや甘い香り。香りほどは甘くない酒のまろやかな舌触り。
同じ米を使っていながら、奏の酒とは随分違う。
香りも味もそのほとんどを抑えて、とても生のままでは飲めない無色透明の強い酒。
お湯や水で割って好みの濃さにしたり、果汁や果物を入れたり様々な飲み方がある。
「奏のお酒は誰もが自分にあった飲み方をみつけて楽しめる。600年の大王朝を築いた櫨家らしいお酒ね。」
「生のままでは飲めないところなんぞ、食えないあの連中らしいな。」
尚隆のことばを否定せずクスクスと笑う利広は残りのにごり酒を一息に飲んだ。
「雁の酒は美味しいね。旅に出るとその土地の酒を飲むようにしているけれど、やっぱり雁の酒は抜きんでて
美味しいと思うな。500年かけて美味しい酒を造った、酒好きの延王に乾杯だね。」
「…くくっ…」
翠蓮が堪えきれずに笑いだして、尚隆はため息をつく。
「そんな顔するもんじゃないわ、風漢。王様業なんてよくして当たり前ってみんな思っているんだもの。
ちゃんと評価してくれたんだから喜ばなくっちゃ。」
「ふん。笑い転げて言われても、説得力に欠けるな。翠蓮、店の者が呼んでいるぞ。」
「あらぁ、せっかく楽しみな時間なのに…。しょうがないわね。」
「こんなに混んでいるのは滅多にないのだけど、この次はぜひゆっくりお話ししたいですわ、利広様。
それと風漢。迷っているのを楽しむなんて年寄りの特権よ。貴方にはまだ早いわ。どうせ、答えは
一つなんでしょ。あんまり周りの人たちに心配かけちゃダメよ?」
「あぁ、わかった、わかった。」
早く行け、と手を振る尚隆にうなずいて立ちあがった翠蓮は二人を見てニッコリと笑う。
「お二人とも、『恋は仕勝ち』だそうだから頑張ってくださいね?では、ごゆっくり。」
翠蓮が出て行ったあとを見ながら風漢にたずねる。
「何者なんだい?風漢の事情に随分詳しいじゃないか。私のことも知っていそうだったし。」
「飛仙だ。それもかなり年上のな。」
「へえ。珍しいね。」
「 初めて会ったのは俺が登極して100年たったころだったか。ここで同じように宿屋をしていて…建物は何回か建て替えている
が。もとは梟王の寵妃だったらしい。政敵の奸計にあって、仙籍を剥奪されて10年以上牢につながれた。
政敵が失脚して無実だとわかって助け出されたが、さすがに後宮にはいられなくて飛仙になって城を出たと聞いている。
事実、記録にも似たようなことが残ってた。まあ初期の頃はけっこう善政をしいてたらしいからな、梟王は。
飛仙の位は詫びのつもりだったんだろう。」
「梟王の初期…私より何百年か年上ってわけか。飛仙のままこうして普通に市井で生活しているのは珍しいね。」
「あきれるほど長く生きているが、いまだに生きることに飽きてはいない。不思議なばあさんだ。」
「生きることにそれほど強い執着があるようにも見えなかったけどね。…ふうん、そこに風漢は惹かれたわけ?」
意味ありげな目線に苦笑でかえす。
「本人は好奇心が旺盛なんだと言うが、まあ確かにそうなんだろうと俺も思う。翠蓮はこの宿からほとんど出ない生活を
している。だが、驚くほど世情に詳しい。なぜだと思う?」
利広は檸檬の薄切りを囓りかけていたのを止め、眉根にしわを寄せた。
「見ている方が酸っぱいな…」
尚隆が身震いする。
「…酸っぱい…よ…。それは…あれだね…この宿の客だね、商人が多いし。」
「そうだ。商人が世情に疎くてはつとまらんからな。旅慣れた連中が見聞きしてきた情報が集まる。女主人(おかみ)が
その手の話をすると喜ぶのを知って、ここに来る連中は旅先でわざわざとっときの情報を仕入れてくる。」
「なるほど。でも間違った情報もあるんじゃない。」
「それはな。だが、何百年という情報の蓄積があるんだ、多少は察しがつくらしい。」
「そっか。宿屋じゃ、それが違ってたからって別に損も得もないしね。」
「そういうことだな。幸い雁も安定して商人も規模が大きくなった。国内だけじゃなく、他国との行き来も盛んになった。
自然、他国のことも入ってくるようになって楽しみが増えたと…まあ本人が言うにはだが。」
「ふーん。私や風漢がさすらっている間、彼女は居ながらにして情報を掴んでいるんだ…」
「浅く広くだがな。」
「…風漢、彼女を利用しているわけ?」
酒瓶に手を伸ばしていた尚隆は、ちら、と利広を見るがそのまま酒を注いだ。
「人聞きが悪いな。情報の交換だ。それに翠蓮は自分の楽しみで集めたものが意外と役に立っていることを知っている。
出し惜しみはしないさ。」
「…私も情報交換をして貰おうかな。かまわないかい?」
思わせぶりに言ってみると、尚隆はぷっ、と吹き出した。
「別に俺に断ることはない。むしろ翠蓮は喜ぶだろう。実際にその目で確かめてみたものは、俺よりも利広のほうが
はるかに多いからな。」
ふ、と利広も笑む。
「もう少し艶っぽい関係かと思ったんだけど、残念、違ったようだね。」
「野暮なことを…」
ニヤリと風漢は人の悪い笑みを浮かべた。
「彼女にかかるとな、俺は<雁のガキ大将>なんだそうだ。」
くく、と利広が笑う。
「あってるね。」
「おまえは、<櫨家のボウヤ>だったか…」
「あっはは、ボウヤ…何百年ぶりだろうねぇ、そんな言われ方。」
手元の杯に視線を落としてふと思う。
「陽子を連れてきたらなんて言うだろうね?」
「さてな…大喜びするだろう事ぐらいだな分かるのは。」
尚隆は杯を傾け
「紅い髪の若い娘で胎果の女王だってことは知っているからな。」
「それで…胎果のよしみっていう口実で延王が近づいていることも?あわよくば、彼女を独り占めしようとしていることも
知っているのかい?」
からかうような口調で、だが目元は笑ってはいない。
「…酔ったのか、珍しいな。」
驚いてみせた尚隆は目を細める。利広の何もかもを見透かそうとするように。
(こいつと来たら手の内を見せんからな)
「酔った?そういうことにしておこうか。」
口元だけは笑みを型どっているが。
「別におまえに非難される覚えはないがな。」
「さあ?それはどうかな。」
「もし、仮に俺が陽子を望んだとして、それでどうなると言うんだ?それは俺と陽子の問題だろう。」
何か言おうとする利広を制する。
「王同士だ、前例がない、というのもたかだか国同士の問題だ。慶と雁の。奏は関係ない、安心しろ。」
利広は思わずため息をついた。
「そんなことを言っているんじゃない。」
「利広も陽子を望むか?受けて立つぞ。」
「…そうだね、それもありかも…」
「ほう?」
「尚隆も分かっているはずだ、陽子の事は。国と国との問題?そんな事じゃない。彼女はこの常世を変えていく
存在だ。彼女の損失は十二国の損失。雁が斃れるのは勝手だけど彼女を失うわけにはいかないね。」
珍しく正面から見据えてくる利広の思いは尚隆にも分かっていた。
彼女のような存在を尚隆は500年、利広は600年待った。もう、これ以上待てない限界で、だから何があっても譲れない。
「一国を受けて立つにも細すぎる肩に、十二国を負わせるというのか。」
「そのために尚隆や私がいるんじゃないのか?陽子を助けるために。」
「助ける?」ふんと鼻で笑う。
「それが、なんだというんだ?王と太子ほども重みが違うぞ。王が死ねば国が斃れるんだからな。」
最終的に何かを決めるのは王であって、たとえそれが周りの者に強く推された事柄であっても、結果は王に復(かえ)ってくる。
陽子の責任は陽子に復る。尚隆や利広が代わりにはなれない。
(わかっている、そんなことは)太子である自分の限界など今までイヤと言うほど味わってきた。
「それでも…私は陽子の創る国がどんな国になるのか、常世にどんな変化をもたらすのか知りたいんだ。」
「陽子を国と心中させるなぞまっぴらだ。そんなことになる前に攫(さら)ってやる。」
「そんなことをすれば本当に国が傾くね。」
(本当にやりかねないな、この男なら)そう思うと口元に皮肉な笑いが浮かぶ。
「…なあ、簡単に国が斃れるというが、王同士の恋を禁ずるなど天綱には一つも書かれてはいないんだぞ。
確かに前例もないから危険な賭ではあるがな。」
「…どっちにしても、肝心なことを尚隆は忘れているよ。陽子にも選ぶ権利があるってことをね。陽子を望んでいるのは
なにも尚隆一人じゃないんだから。」
「俺と張り合うとは良い度胸だな。誰だそれは?」
じろりと利広をながめる。
「おまえが?」
「勝算はあるつもりだけど。」
クスリと笑顔で返す。
「王ほど国に縛られている訳じゃないからね。尚隆よりは陽子の側にいられるはずだよ。
陽子を思う気持ちなら…負けないよ?」
「ふん、好きにするさ。陽子は譲らん。
…酒が切れたか…
俺はもう寝る。利広、おまえはそっちの榻を使え。」
「はいはい。おやすみ風漢。」
灯をおとし榻に横になる。
長い間同じ時間上を生きてきた孤高の王が、胎果の女王をどれほど求めているかなんて。
それくらい旅先でたまに行き会う利広でもさっしはつく。
まして、半身といわれる麒麟ならば。
昼間会った六太を思い出す。
黙ったまま宿屋を指さして踵を返した。
利広には、王への思いと民への思いの間で立ち竦んでいるように見えた。
(尚隆を、止めて)
(尚隆の邪魔をしないで)
縋るように利広を見た。いったい何時からあそこにいたのか…。
(ゴメンね、火に油を注いじゃったかも…)
(あとは、陽子次第か。なんでも陽子任せというのも何だかなぁ。)
睡魔がやってきて目を閉じる。
(『恋は仕勝ち』か。なら、せいぜい頑張ってみようか、陽子の気持ちを掴めるように。私だって陽子は譲れないから。)
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1万HITありがとうございます。皆様のおかげですv
キリリクは鏡月様から「帰山コンビによる〇〇語り」でした。
……あんまり語ってないですね。というか、言い争っている?……あわわ、すいませ〜〜ん!
今回今までになく異様に時間が掛かりました。…の割になんだかとりとめのないモノに。
おかしいな?帰山コンビ大好きなのにv 愛が溢れすぎて暴走しちゃってます…
風漢の前に現れた利広は偶然を装っていますが、実は全然偶然なんかじゃ無いんですね。
偶然出会ったのは六太君だったんですが。
ご長寿コンビをボウヤ呼ばわりするお姉さんが書きたくて、つい、オリキャラを出してしまいまし
た。翠蓮はマルレーネ・ディートリッヒかジャンヌ・モローみたいな(お若い方には分かるまい)
ハスキーボイスの色っぽいお姉さんのつもりです。
ああ、お待たせした上にこんな駄文ですみません、鏡月様。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。