鏡月様よりいただいたお話です
「月光」
最近、尚隆の様子がおかしい。
纏った空気がピリピリしてる。
いつもの通り朝議をサボり、
いつもの通り城を抜け出し、
いつもの通り政務を怠ける。
それでもちゃんと必要最低限の仕事は行うし、見るべきものは見ている。
そんな所までいつもの通りなのに、何故か俺は違和感を拭えないでいる。
まだ誰も、尚隆の変化に気づいていない。いや、尚隆が気づかせてない。
あの朱衡ですら「台輔の思い過ごしでしょう」と、宥めるように笑った。
「なぁ、尚隆……抜けねぇ?」
「良い案だ」
新年の行事が目白押しの玄英宮。
五日目にして正月の騒ぎに飽きた主従は、宴の直前にその姿を眩ませた。
主の不在に気づいた官たちが、慌てて関弓の街の捜索を指示しているころ、騒ぎの元凶
は、彼らの予想を裏切って玄英宮にいる。
宮殿の裏山、岩の露出した山肌に並んで腰掛け、無言のまま沈み行く夕日を眺めてい
た。
尚隆と話がしたくて誘った六太だったが、いざ話そうと思うと自分の感じている漠然と
した違和感をうまく説明できず、黙り込む。
尚隆は尚隆で、何か話したそうな六太が口を開くのを待っているため、長い沈黙が続い
ていた。
「捜してるかな?」
「さぁ、な。飾りにせよ王が必要な儀式は済んだ……むしろ俺達がいないほうが気楽に酒
を飲める、と喜んでいるのではないか?」
沈黙に耐えられなくなった六太が口を開くと、尚隆が答える。
そしてまた、沈黙――。
尚隆は飽きたのかもしれない。
もう、疲れたのかもしれない。
――王、であり続けることに。
「今年で何年目だっけ?」
「さて……? 三百と……少し、だったか」
「ク……三〇四年だよ。自分の国だろ? 覚えとけよ、それくらい」
しょうがねぇおやじだな、と笑いを噛み殺す――振りをする。
(やっぱり、飽きちまったんだな……尚隆……)
「何も俺が覚えておらんでも困らん。必要なときには、訊けば覚えている者が周りに一人
くらいおるだろう」
現にお前が知っていた、と笑う。
尚隆は、延の王なんかになりたかった訳じゃない。
小松の殿に、あの民を導く者になりたかったんだ。
それが果たせなかったから、だから、ここに居る。
故郷の民の代わりに、延の民を導いてくれている。
守れなかった民への償いに、この国を守っている。
「なぁ尚隆……いつまで……」
(いつまで俺に付き合ってくれる? いつまで王でいてくれる? いつまでそばに居てく
れる? いつまで……償い続けるの?)
思い切って口を開いたものの言葉が続かない六太に、尚隆が訝しげな目を向ける。
「いつまで続くかな、この国……」
「さて……神のみぞ知る……といったところか」
尚隆が口元だけでニヤリ、と笑う。
「王だって神じゃねーか。知ってるなら勿体ぶらずに教えとけ」
「そういう麒麟こそ神だろう? 何で知らない?」
夕陽が照らす中、顔を見合わせて笑った。
俺は知ってる、瀬戸内の海を。
そこに生きた人たちのことを。
死んでいった人たちのことを。
彼らの最期を思えば今も胸が痛むけれど……もし彼らが生きていたなら、
もし小松氏が滅びずにいたなら、尚隆は王になってくれなかっただろう。
あの時、尚隆に拒まれていたなら……この国はどうなっていたのだろう?
尚隆以外の王なんて考えられない。
他の誰にこの国が救えただろうか。
俺は、彼らの死を悼みながらも、あの惨劇を悲しみきれない。
――なんて醜い感情! これが麒麟? これのどこが仁獣!?
「……もし……さ、もしも、なんだけど……」
「なんだ?」
「もしも、いつか尚隆が、死にたくなったら――辞めたくなったならさ、まぁ、もしもの
話なんだけどな……」
「………………」
黙ったままの主を気にしながら、六太は先を続ける。
「俺は止めない。反対しないから……」
「おいおい」
「だから、もしそんな気分になったら、最初に、俺に教えて」
「おい……六太」
「俺を、最初に殺して」
「…………っ!!」
言葉を失った尚隆に、先程までの真剣な表情とうって変わったいつもの笑みを向ける。
「お前ってどーしようもない馬鹿殿だけど、そのおかげで俺も好き勝手にやらしてもらっ
てきたからさ、いまさら他の奴の下で真面目に働くなんて考えられねぇ。最期まで粘って
死ぬならともかく、禅譲するなら、山に登る前に俺を殺してくれ」
ニッと笑う六太に、尚隆も笑みを返す。
「……六太……お前それは、俺以外の下で働くのが考えられないのか? 真面目に働くの
が考えられないのか?」
「ん? それは最重要機密だからナイショ」
――尚隆以外の王なんて、考えられない。
その尚隆が、王でいることがつらいなら、
俺は、今ここで死んでやっても構わない。
それが、彼らの死を悲しめないでいることへの償いであり、
三百年の間、尚隆を地上に縛り続けたことへの償いだから。
「……一万回」
「は? ……何?」
あらぬ方を見ながら、突然話し出した主の言葉の意図をつかめず、六太は間の抜けた返
事を返す。
「一万回、月の満ち欠けを見るまでは考えんことにする」
「何をだよ?」
「だから……お前の言う、辞めたいだの、死にたいだのを、だ」
彼は、拗ねた子どものように、目を逸らしたまま答えた。六太の感じていた違和感は、
いつのまにか綺麗に消え去っている。
六太の顔が明るくなる。
「何? 今日から?」
「俺が王になってから、だ」
「ケチくさいな。ま、いいや。え〜と一年が十二ヶ月だろ、だから…………八百……三
十?四十?」
「ちょっと待て、閏年はどうした」
「あ、そうか。閏月は三年に一回だったよな?」
「は? 五年に二回じゃなかったか」
「そんな、少しでも減らそうとしなくていいから。十二に三を掛けて……一足して、三十
七だろ? で、一万を三十七で割って、三を掛ければ……いい筈だけど、いくつ?」
途中で計算を放棄した麒麟がたずねると、憮然としてその主が答える。
「面倒くさいから、十二で計算しろ」
「んじゃ、八四〇年ってことで」
「そんなに多くないだろう」
「ケチケチするなよ。いいじゃねぇか少しくらい」
その言葉にますます憮然としながら、尚隆は言葉を紡ぐ。
「だったら、きり良く八五〇年だ。言っておくが、俺が考えないというだけで、天が俺を
辞めさせようとするのは止めようがないからな」
「いいんだよ、それでも。……八五〇年過ぎたらすぐに考え出すって訳でもないだろ?
とりあえず、天に嫌われさえしなけりゃ九〇〇年近くいけるってことだ」
すげぇな新記録だろ、と笑って六太は腰を上げた。
「へへ……頭つかったら腹減った。街までもたねぇし、宴で何か食べてくるわ」
歩き出す麒麟を見て、その主も静かに笑う。
「お前だけ先に行って怒られていろ。俺も後から行く」
そんな二人のやり取りを、まだ細い月が照らし出していた。
――宴に顔を出す前に延国の王は、書斎の引き出しの奥から戦利品を納めた小箱を取り
出した。その箱を呆れたような顔で眺めた後、物入れの奥へと無造作に放りこむ。
箱が落ちて転がる音と、石と貝がぶつかり合う音が少し響いて――消えた。
その箱は、この時以来誰の目に触れることもなく、今もそこにある。
――それを知っているのは、五日目の月だけ。
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〈鏡月様のコメント〉
みー様の書かれた『風』と『桜』と「1万」という数字を、容量の少ない頭の中で
こね回してみました。
『風』で小松さんが立ち直るのに、六太が一役かっていてほしいなぁ、
という、鏡月の願望でもあります。
〈みーよりコメント〉
素敵なイラストをお描きになる方だと思っていたら、文章まで…
「オレを殺して」と静かに迫る六太君。
さぞ、美しいのでしょうねぇ(腐
鏡月様ありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。