「月下美人」
「珍しいね、景麒。こんな所で。」
「っ…卓朗君…。この様な夜更けに、どうされたのです。」
金波宮の奥深い中庭で景麒は突然声を掛けられ、その声の主に眉をひそめた。
「生憎ですが、主上は雁へ行っていて此処にはおりませんが…」
困惑した麒麟を見ながらくすりと笑う。
「ああ、なんでも『月下美人』が咲くとか。私もこれから向かうところだけどね。」
見れば確かに旅支度のまま、いつもの騎獣も後ろに連れている。
「では、すぐに部屋を用意致します。大したことは出来ませんが…」
「いや、いいんだ景麒。すぐに立つから。こんな夜更けに来たんじゃ一夜の宿を借りに来たみたいだけどね。」
「しかし、卓朗君…」
「利広でいいよ。…や、利広って呼んで欲しいな。卓朗君というのはどうもね。」
利広の人好きのする笑顔を見ながらますます困惑する景麒に心中で苦笑する。
(本当に真面目でお堅いね、この麒麟は…)
「景麒は何していたんだい?こんな夜更けに中庭の散歩?風流だね」
「私は…」
政務が終わり、ふと窓から見えた木々の梢が明るく光っていた。
満月に近い月が辺りを照らし思いの外明るい中庭を、涼風に惹かれるように歩き出したのはつい先程のこと。
はるか遠くではあるが、かすかな王気をたどりながら主上のご無事を祈っていた。
「大切な主の…陽子の無事を祈っていた?」
言い当てられて思わず利広を見る。
「クス…図星だったようだね。」
「麒麟にとって、王は何者にも代えられない大切な存在…だものねぇ。」
目を伏せおだやかな口調で話す利広が、なぜか景麒には自嘲めいて映った。
言うべき言葉が見つからず、一つため息を漏らす。
(…この方は苦手だ。)
隣国の王のように、器が大きいが故にこちらからは時々突拍子もない行動に出たように思われる、そんな不可解さ
ではなく。(いや、あの方もいささか苦手だが…)
この太子は景麒にとって何ともとらえどころのない不可思議な存在だった。
「ねえ、景麒…」
すっとそばに寄ってくる利広の口元には相変わらず皮肉な笑みが残っている。
「予王の時は、お互いの想いの差こそあったけれどお互いを一番に想ってた。そうだよね?」
意外な話題に目を見張る景麒を見ながら、そっとその金色の髪を一房手に取る。
「じゃあ、陽子は?陽子の一番になれそうかな?」
「…主上は…主上の今一番お心に掛かっているのは…この国の民のこと。王たる者にとってそれは当然な…」
利広は手に取っていた髪をクイと引いた。
「っ何を…」
顔をしかめ抗議する景麒を見る。
月明かりで見るこの麒麟はやはり美しい。
「景麒。陽子もね、王である前に人なんだ。人として誰かを恋し求める。それは近い将来きっとそうなる。」
「どうやら、陽子の相手は麒麟以外の者になりそうじゃないか?さしあたっては隣国の王とか。」
「そんなこと…」
「ないと思うかい?」
「たとえ主上が誰を選んだとしても、主上がそれでお幸せで国が平穏であれば…私は…」
「たとえ一番でなくても王の側にいて王気に触れていれば幸せ、か…。麒麟の本能だものね?」
ニッコリと笑顔で言う利広の目はしかし、刺すように景麒を見る。
利広がすぐに目を伏せた為それは一瞬のことだったが、怨嗟にも似た気を感じて景麒は身をすくませた。
「尚隆とは違う意味で、私も陽子が大切だよ?天の理でがんじがらめのこの常世で陽子がどんなふうに
折り合いをつけていくのか。どんな国を作るのか、どうしても知りたいから。」
そこまで言って利広はくすっと笑った。
「景麒。そんなに怯えなくても…別に何もしないよ。」
そっと手にした金髪を見る。
月の光を浴びて闇に浮かび上がるように輝く長い髪は驚くほど軽い。
「陽子が言ってた。景麒の髪は月明かりで見ると素晴らしく綺麗だって。本当に…その通りだね。」
ふいにその髪に口づける。
「…っなっっ…」
景麒は思わず髪をひったくるように取り返し、利広から一・二歩後じさった。
「お、お戯れはおやめください…卓朗君。」
「利広だよ?」
「っ…利、広殿。」
憮然とした表情で反復する景麒を笑顔で見る。
「さぁて、そろそろお暇しようか。星彩も少しは休めたようだし。(これ以上居ると使令を呼ばれそうだし)」
「景麒、じゃあ、またね?」
「道中お気をつけて、…利広、殿。」
ぎこちなく呼ばれる自分の名前にクスクスと笑いながら、利広は星彩に乗って飛び立った。
「今日は間に合うでしょうか、利広は。昨日はとうとう来なかったし。」
今にも開きそうな、大きく重そうな白い蕾を見ながら心配げに陽子が言う。
昨夜遅くに慶を発ったと、景麒の使令から伝えられたが。
「さあな…まあ夜は長い。気長に待つさ。」
離れの濡れ縁に腰をかけ冷酒をゆっくり飲みながら、尚隆はのんびりとくつろいでいる。
雁の老舗料亭の離れから裏庭にかけて、見事な月下美人の株が植わっている。
その数は百を下らないと言われていた。
花一つは一夜で咲き終わってしまうが、大きな株は幾つもの蕾をもっているので夏のこの時期は幾晩か
開花を楽しむことが出来る。
夏の宵、涼を求める風流人には有名で、最近では予約制になっているがそれでも多くの見物客が珍しい花を
愛でようとやって来ていた。
離れを開け放ち庭のそこ此処に縁台を置いてあるが、まだ日が暮れたばかりだというのにもうほとんど客で
いっぱいの状態だった。
「月下美人って初めて見たけど、確かに“美人”というだけあって綺麗な花ですね。」
「でもこの茎っていうのかな、けっこうゴツイんですね。サボテンみたいで。思ってたよりずっと大きいし。」
葉とも茎とも思われる緑の柱は所々に握り拳ほどの白い蕾をつけて、二階の屋根に届くほどの物もあった。
宵闇が濃くなる頃、妖艶な甘い香りが漂い出す。
開花が始まった。
これから夜半までゆっくりと時間をかけて、その幾重にもかさなる白い花びらを開いてゆく。
篝火の火が落とされ、明るさを抑えた雪洞がわずかに足元を照らしている。
酒肴を運ぶ店の者が時折行き来するほかは目立った動きもなくて、声高に騒ぐ者もおらず、談笑する声が
さざ波のように聞こえる。
月明かりの中、静かに夜が更けていく。
ふと、陽子が辺りを見回す。
詩を詠む者、句をひねる者、絵師だろうか紙を広げて筆を動かす者。
恋人同士だろうか、カップルも多い。
「やっぱりロマンチックですよね。カップルが多いし。」
「?ろま…?かっぷる??」
怪訝な顔の尚隆に苦笑する。
「あ、えーと、なんていうか甘い雰囲気っていうか、幻想的というか、オンナノコが好みそうな感じですよね?」
「カップルって言うのは、ええと…たいがい男女1人ずつの組み合わせで多くは恋人同士を指す言葉で…」
「ほほう?…じゃあ俺たちもそうだな。端から見ればかっぷるとやらに見えるか。」
ニヤリと笑う尚隆に思いっきり驚いてしまう。
「ええっ…いや…えーと、でも、それはどうでしょう…。」
(確かに二人っきりだけど…昨夜だって男に間違われたし…)
「男同士にしか見えないんじゃないですか。プロの女性が見てそう言うんだから。」
「なんだ、まだ気にしていたのか?」
「そりゃ…」
「やあ、久しぶり。風漢、陽子。」
「利広、お久しぶりです。良かった、間に合って。」
「待ちかねたぞ。遠慮して来ないのかと思ったが。」
「誰に遠慮するって?ちょっと寄り道しただけなんだけど。…大分咲いてきたようだね。
此処は初めてきたけど…こんなに沢山の花を一度に見るのは初めてだな。」
「花の香りに酔いそうですね。」
「美人の色香に迷いそうだな。」
「まさか。花の色香ですか?」
尚隆の言葉に陽子が笑う。
「この花はこの木が虫を寄せるために作り出したものだからね。花の甘い香りに誘われ、夜目にもわかる
白い花びら。魅惑的な美女だね。」
「利広まで…。この花が美女に見えるのなら、さだめし此処は何処かの後宮でしょうか。」
ざっと数えても二・三百はありそうな花を見渡す。
「そいつは凄いな…」
苦笑しながら尚隆が利広に酒を注ぐ。
「永いこと生きてるけど…今までで知ってるのは寵姫が五十人っていうところはあったけどね。」
「へぇ〜。私は二百人くらいは居るのかと思ってました。」
ないない、と利広は手を振る。
「考えてもごらん。うちは家族が住んでるし。風漢のところは無人だし。陽子の所は…まあ日が浅いとしても、
永く続いた所でもこんなもんだから。おおむね多くて二〜三十人ってとこかな。」
「おいおい…普通、後宮事情なんて他国のものには漏らすものではないんだぞ。俺の所はともかく
他の国の事まで何で知っている?」
「それは、まあ…いろいろと方法は…内緒だけどね。」
くすくすと笑う利広を見て尚隆はため息をついた。
「まったく、油断ならないやつだな。」
夜も更けてきて花は八分ほど開いてきた。
「そう言えば、昔、麒麟をこの花のようだと言った男が居たな。」
「ええっ…」
「そんなに驚くことも無かろう?…慶の麒麟は歴代の麒麟の中でも美形と噂も高いのにな。」
「そうなんですか?」
「あれ、知らなかったんだ?」
「…へぇ、そうなんだ…まあ、確かに黙っていれば。でも…あんな愛想の無さじゃ、虫一匹寄らないと思いますけど。」
「いえるな。」
「そうかもね。」
三人三様に景麒の表情のない顔を思い浮かべ苦笑する。
「…だが、麒麟は虫の代わりに王を探す。二人も捜し当てたのだから、慶という木に咲く月下美人はちゃんと仕事を
したことになろう?」
「麒麟はね、虫のために咲くこの花のように、王のためだけにある存在なんだ。慈悲の獣とか国や民のため
なんて言うけど、本能はいつも王を求めている、そういう生き物だよ。」
「それなのに…王ならぬ身で麒麟に恋する男もいる。難儀なことだな。」
「麒麟に恋…その人どうなったんですか?」
「王しか見ないものに恋したところで報われん。悲恋だな。」
「…悲恋…」
「昔、使節として他国へ行った男がその国の麒麟に恋をしたが、相手は麒麟だ。そうそう近づくこともできない。
思いあまって仁重殿に忍び込んだ。」
「それはまた、随分大胆ですね。よく見つからなかったな…」
「いや、それがやはり見つかって、事が明るみに出てしまった。仁重殿は王の所よりも警備が厳重だからな。」
「マズイですね。国交にも関わってしまう。」
うむ、と尚隆が肯く。
「当の麒麟がなんとか穏便にと取りなして男は釈放されたが、戻った国で拘束されているうちにかの国は
斃れてしまった。麒麟も王と運命を共にしてな。男は取り残され、この花を見て麒麟を偲んだという。」
「昔…そんな話もあったねぇ。」
懐かしそうにしみじみと言う利広に驚く。
「実話なんですか?おとぎ話かと思った…。 でも結局その男の人の想いは伝わったんですか?麒麟が取りなして
くれたのはそのためとか。」
「さあな。それは当事者にしかわからん。」
「そうだったと、思いたいですね。その人も必死だったのでしょうから…」
陽子の言葉にくすりと利広が笑う。
「陽子、良く考えてごらん。慶賀の使節で来る男など、いちいち覚えているかい?二度三度と同じ顔ぶれで
来たとしても、そんなに親しいと言えるほどの仲じゃないだろう?」
「ああ…確かに、名前と顔が一致するくらいかも…。」
「その程度の認識しかしていない男が、突然忍び込んできて恋心を訴えた。どうする、陽子だったら。受け入れる?」
「いっ…いやかも…しれない…」
「まして、相手は思い詰めている。必死の形相で迫ってきたりしてな…」
尚隆が人の悪い笑みを浮かべる。
「うう…分かりました。私が甘かったです…。」
「結局、麒麟にとってその男がどんな存在だったか、それに尽きるな。今となっては聞くことも出来んが。」
たとえば、前から見知っていた男だったら。
以前から言葉を交わし好感を持っていた相手が、わざわざ使節となって会いに来たと知ったら。
そう言う尚隆に、
(私だったら、うれしいけどな…)
ボンヤリとそんなことを思いながら酒を口に運んだ陽子は、利広の言葉にむせてしまった。
「そうだね、たとえば風漢がそうしたら陽子はどうする?」
ニコリともせず、すかさず尚隆が返す。
「たとえば、利広だったらどうするかな。」
「…っっ…げほっ……ちょっと…みず…もらっ…げほ…きます…」
慌てて陽子が店の方へ走っていくのを見送り、尚隆がため息をついた。
「…まったく、なんてことを言う。」
「古い話を持ち出したおかえしさ。それにまるっきり見当はずれでもないはずだよ。」
「だったら余計にマズイだろうが。変に意識されても困るからな。古い話と言うが、実際お前の麒麟好きも
変わっていないようだが?」
「あれほど美しく、哀しい生き物は他にはないよ。麒でも麟でもね。」
月下美人の花のような麒麟との儚い逢瀬。
…一夜だけの…
酒杯の底に面影を見るように目を伏せる利広に、
「麒麟にちょっかいを出すのは勝手だが、あまり陽子を煩わすな。」
ぼそりと言った尚隆の目は(言ったところで止めるお前ではないからな)と語っている。
ふっ、と笑った利広は尚隆を見る。
「風漢に言われたくはないな。陽子を煩わしている張本人のくせに。…まあ、今のところ景麒に失道の気配も
ないし大丈夫そうだけどね。」
「色恋かと思えば監視のつもりか?」
「両方だったり?」
くすくすと笑顔の利広を前に、困惑顔の景麒が見えるようだと尚隆はため息をついた。
「すいません。…急にむせちゃって。」
陽子が戻ってきた。
「お店の方へいったら、これを貰っちゃいました。毎年開花初日にお客さんに配っているらしいです。
たまたま残っていたらしくて。」
月下美人の押し花が黒い台紙に綺麗に作ってある。
「景麒が、花の名前は知っていても実際に見たことはないって言っていたから、ちょうど良かった。
これならどんな花か良くわかりますよね。香りがないのは残念だけど。」
「ほう、良くできているな。」
「へぇ、よかったね、陽子。」
頭上で咲いているのと同じ満開の花。
月も傾き、影が長くなった。
あと二時間もすれば、夜明けを待つこともなく花はしぼんでしまう。
「さて、そろそろ引き揚げるか。土産も出来たことだし。」
尚隆が腰を上げる。
大事そうに押し花を抱えた陽子が遠慮がちに言う。
「また、あそこを通るんですか…。」
「あそこ?」
首をかしげた利広に尚隆が話した。
「なに、騎獣を預けた所の手前が花街でな…」
くくっと尚隆が笑う。
緑の柱の立ち並ぶ花街では大勢の女達が店の前に立っていて、道行く男の袖を引いている。
客引きなのだが、なかば強引に袖を引きなかなか離して貰えない。
昨夜通ったときは、尚隆は勿論、夜間の外出の為に男物を着ていた陽子まで何人もの女に付きまとわれた。
尚隆はともかく、細身の陽子は三人の女に引っ張られ危うく店の中に引きずり込まれるところだった。
笑いながら聞いている利広に、恨めしそうに陽子は訴える。
「女だっていっても信じてくれないし…もう、笑い事じゃないですよ…。」
「まあ、その格好じゃあねぇ、裕福そうに見えるし…」
「あの時、他の客に突き飛ばされて倒れた女に手を貸したろう?あれはまずいな。」
「えっ、でも、女の子が倒れていたら普通手を貸すでしょう?」
「彼女たちは普段辛い思いをしている子が多いからね。優しさに飢えているから、そんな風に優しさを見せると
(この人なら優しい!)って食いついてくるよ。今度は突き飛ばしてでも振り払えば?」
「女の子にそんな事出来ませんよ…」
「男前だな、陽子。」
「惚れるね、その性格。」
ちゃかす二人に陽子の頬が膨らむ。
「…嬉しくありません…ああもう、尚隆一人でも目立つのに利広も一緒だし…この二人は目立つからなぁ。
そうはいっても、一人であの通りを行きたくないし…」
こぼす陽子の両肩がぽんとたたかれる。
「「まあ、頑張れ」」
尚隆と利広が歩き出す。
陽子も一つため息をつくと歩き出した。
ふわりと吹いた夜風に利広が振り返ると、満開の月下美人が風に揺れていた。
あの日の微笑んだ麒麟の姿に似ていた。
にっこりと微笑みを返すと利広はもう振り返らなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
60000HITキリリク。
お題は梨彩様から「帰山コンビと陽子」でした。
夏らしく「月下美人」で、と思ったら…もうすっかり秋ですね、えへ。
利広→景麒風味でBLがお嫌な方にはゴメンナサイ…。
利広の昔の恋物語はそのうち書きたいと思っていますが…(いつになるやら)
梨彩様リクエストありがとうございました。
ご期待に添えていると良いのですが、違っていても、まあトリ頭の書く駄文ですので
笑って許してくださいませ〜。
「月下美人」実は我が家にも有ります。
花びらは純白ですが花の中心辺りが極々うっすらと紅を差したようで、清楚なのに艶めかしい。
美人と言うに相応しい花だと思います。