夜勤明け

 

       世間では3連休の2日目、珠晶は夜勤明けで病院の玄関を出ようとした。

         「あれー。看護婦さん、元気ないなあ。あ、夜勤明けかぁー。お疲れさん」

         のんびりした声に顔を上げると、松葉杖の青年が立っている。

         「もう練習?頑張っているのね。」

         彼は杜真。禁門の兵士だが今は整形外科の患者だ。

         「まあね。頑張って早く治して社会復帰しないと。」

         彼は非番で街にいたとき暴走した車から子供を庇った。

         子供は無事だったが、彼の左足の骨は砕けてしまった。

         今は、骨の代わりに金属が入った左足のリハビリをしている。

         彼の主治医のDr.呉 藍滌の言葉を思い出す。

         金属の入った足は重く、杖で自由に歩き回るようになるだけでも随分と時間が必要だ。

         杖なしで歩くようになるにはさらに多くの時間がいることだろう。

         そして、多分、歩けるようになっても金属入りの足では兵士という激務は難しいだろうということも。

                    「あいたた、うわっ!…と…」

         小さな段差にぶつけてバランスを崩しそうになる。

         「ちょっと!…気を付けてよ…大丈夫?」

         慌てて杜真を支える。

         ロビーの椅子に腰掛けてほっとする。

         「いや〜、すいません。まだまだだな〜。」

         にこにこと笑顔の彼をみながら初めて会ったときの事を思う。

        

         車いすに乗ったまま、リハビリを拒否していた。

         「元のようになれないのなら、歩けたって意味が無い!」

         そう言って松葉杖を投げつけた彼。

         たまたま通りかかった珠晶は、お決まりの供麒とやり合ったばっかりで、平手打ちをした手がヒリヒリしていた。

         危うく松葉杖にぶつかりそうになった珠晶は、先程の供麒に対する怒りも加わり、つかつかと彼に歩み寄った。

         「この、大馬鹿者〜!(パッシーン)」

         「この病院にはね、寝たっきりでもいい、生きていたいって願っている人が大勢いるの。

          それでも願いが叶わずに亡くなる人は多いわ。

          あなたはなに?確かに失ったものはあなたにとって大きかったかもしれない。

          でも、歩けるようになったあなたに残されたものは沢山あるはずよ。

          あなた自身の可能性を考えもせずに諦めるなんて、馬鹿じゃないの?

          甘ったれんじゃないわよ。」

         そう、一気にまくし立てると、頬を押さえてポカンとしている彼をおいてさっさと立ち去ったのだった。

         腹立ち紛れに少々キツイことを言ってしまったと後悔した珠晶だったが、翌日からリハビリへ通う杜真を見てホッとした。

        

         内心はどうあれ、今の彼には焦りも投げやりな感じも見えない。

         「もう、兵士は無理かもだけど、でも文官だってなんだって他に出来ることはあるんですね。

          今は、俺、自分の可能性を考えるの楽しみなんです。」

         「そう。そうね、よかった。じゃ、怪我しないように頑張ってね。」

         帰ろうとする珠晶を杜真が呼び止めた。

         「あ、看護婦さん」

         「え?」

         「どうしても嫁に行けなかったら、俺が貰ってやるよ」

         何処まで本気なのか解らない笑顔で。

         「そうね、あと2〜300年したら考えてあげてもいいわよ?」

         間に合ってるわよ、という笑顔を返して、玄関を出る。

 

              晴天の空は夜勤明けの目に突き刺さるような痛みを感じさせる。

         立ち止まって顔をしかめていると、スイッと傍らに車が止まった。

         「やあ、今帰り?」

         声を掛けてきたのは、小児科医の利広だった。

         彼も昨日は当直医で一睡もしていないはずだったが。

         「良かったら、乗らない?送るよ。」

         ニッコリと笑う笑顔には疲れなど少しも見えない。

             日盛りのまぶしさに思わず車に乗ってしまう。

         「ありがとう。助かるわ、まぶしくって…」

         バックミラー越しに玄関を見ると松葉杖の男が手を振っている。

         「珠晶がひっぱたいたっていう患者かな、あの人。」

         「え?ああ…そう。って何で知ってるのよ。」

         「いや、内科の患者のうわさ話でね。ちょっと小耳に挟んだだけ。」

         内科の珠晶が整形外科の患者をひっぱたいて説教していた、と彼らは話していた。

         やる気の無かった彼が今では一生懸命リハビリをやっている、とも。

         その口ぶりは、自分達にも活を入れて欲しいと言わんばかりで、利広は苦笑しながらその場を立ち去った。

         「…そういえば、さっき彼にプロポーズされたわ。」

         「ふ〜ん」

         「結婚退職か…悪くないわね」

         「おやおや、どういう心境の変化かな?今までにもプロポーズなんて何度もあったんじゃない?

          いつも無視してたのに。」

         チラリと彼の顔を見る。相変わらずの笑顔で少しも本心が読めない。

         「あら、私だって自分の可能性に疑問を持つことはあるのよ?」

         「結婚退職には疑問を抱かないんだ?」

         「可能性が無い訳じゃないって言ってるだけよ。」

         珠晶の言葉を受けて利広がくすりと笑う。

         「さてね。それはどうかな…」

         「失礼ねぇ。って、ちょっと、道が違うじゃない。」

         「良い店を見つけたんだ。ちょっと寄っていこう。」

         「相変わらず強引ね、もう。」

         「まったくもう」とか、「そんなに暇じゃないのよ」とか、ぶつぶつとこぼす珠晶にはお構いなしでハンドルを切る。

         (自分の可能性に疑問…か。やっぱり落ち込むか、あんな事のあとじゃ。)

         

         今朝方、内科の患者が亡くなった。

         病気は回復し、退院を間近に控えた老婦人だった。

         昨夜9時の消灯まで同室者と和やかに談笑し、いつもと同じように就寝した。

         12時・2時の病室見回りの時は静かな布団の上下が彼女の安眠を伝えていた。

         4時に回ったとき異変に気づいた。苦しんでいたのではなく、静かすぎた。

         すぐに個室に移し、当直医の利広が呼ばれ、救急処置が行われた。

         その対応は迅速で、すでに心マッサージと人工呼吸が続く中の事だった。

         連絡を受けて主治医の供麒が飛んできた。

         珠晶の報告と利広の所見を聞く。

         モニター上の波形はマッサージを止めると水平の直線となり心臓の動きがまったく無いことを示した。

         いろいろな状況を見た結果、利広と供麒の意見は一致していた。

         [自然死]

         寝具はおろか着衣の乱れすらなく、文字通り「眠るように」逝ったのだろう。

         駆けつけた家族は驚きと悲しみに沈んでいた。

         両医師の説明を聞きながら呆然としている。

         (無理もない。スタッフだって、信じられない状況なんだから…)

         入院中の自然死。

         滅多にはないが皆無ではないことも、その長い経験上知っている利広だったが。

         その場に居合わせたスタッフのショックも大きい。

         今まで努力して積み重ねてきた知識・経験・自信が根底から揺らいでいく。

         けれど、そこで落ち込んだ自分を引き上げるのは、やはり自分でやるしかない。

         (そのてん、珠晶は大丈夫だと思って居るんだけどね…)

 

         「ねえ、利広。良い店を見つけたっていったわよねえ?」

         車を降りて辺りを見回しながら珠晶が問いかける。

         だが、不機嫌ではなくむしろ面白そうにしている。

         「ねえ、ここって…」

         「彼が居るかどうかはわからないけどね?」

         郊外の小高い丘のそこ此処にカラフルなテントが点在していた。

         テントの周りを囲むようにして柵がつくられて、その中には何頭かの騎獣がいた。

         騎獣の移動市場。

         黄海で狩った獲物を朱氏達が馴らしながら各地を回り市を開く。

         騎商はそこへ出向き、気に入ったり注文を受けている騎獣を買い上げる。

         勿論商人だけではなく裕福な家の者や武人など多くの人が出入りしている。

         車が普及したいまでも騎獣を愛用する者は多く、ことに空を飛ぶ騎獣は人気があり高価だった。

                    「こんなに近くに来ていたなんて知らなかったわ。」

         ぼーっと辺りを見回していると、利広から声が掛かった。

         「ほら、中に入って、もっと側に行ってみよう?」

         「あ、ちょっとまってよ!」

         慌てて利広の後を追う。

         

         すう虞・天馬・三騅・孟極…さまざまな騎獣を見ながらテントを巡る。

         そして、珠晶は見つけてしまった。

         偉大な飛仙の名を持つ騎獣を。

         「駮…駮よね?…駮だわ!」

         駮と呼ばれた騎獣は、珠晶の差し出した手のひらにその鼻を押しつけてきた。

         「うれしい、覚えていてくれたのね?」

                  「お客さん、悪いがそれは売り物じゃないんだが。」

         振り向くと懐かしい顔が笑っている。

         「久しぶりだな。」

         「頑丘!…ビックリした。元気そうね」

         「なんとかな。どうだ、利広。久しぶりに一杯つきあわんか。」

         「あいにく車なんでね。でもお茶でよければ付き合うよ。珠晶はどうする?」

         「あ、…もう少し駮といちゃダメ?」

         ぴったりと駮にくっついている珠晶に思わず苦笑する。

         「あっちのテントにいるからね。気が済んだらおいでよ。」

         「駮はいいが、他の騎獣には不用意に近づくな。馴れていないのも多いから危ないぞ。」

         「わかったわ。」

         珠晶がコクコクとうなずくと男達は向かい側のテントへ歩いていった。

         

         座り込んだ駮の隣に腰を下ろす。

         駮に寄りかかるようにするとテントの隙間から青空がのぞく。

         「ねえ、駮。わたしね、ちょっと怖いの。」

         「今朝、亡くなった人ね、でも夕べの回診のときだって何の異常もなかったの…夜中の見回りのときも。

          私が思うのにはね。」

         「そうよ、そこが問題なの。他の人だったら?たとえば陽子だったら、死に至るような兆候を見逃さなかったかしら。」

         「そして彼女は死なずにすんだ?私は何かとっても重大なことを見逃してる?」

         今朝からずっと繰り返し考えてきたことをもう一度考えようとした。

         昨夜の彼女の言動・バイタルサイン・3日前の検査結果…どれも異常なく。

         ふーっと大きくため息をつく。

         「だめだわ。他の人の意見もなしで私だけの所見じゃ、結局自己弁護だもの。」

         「今度の夜勤からは、見回りの度に患者さんを起こしてまわるようかしら?」

         眠っている患者をたたき起こしたらヒンシュクものだろうが…

         「だって、自信なくなっちゃったし…」

         駮の背中に頬をうずめる。

         暖かく、かすかに獣の匂いがする。

         利広も供麒も自然な死だといった。

         それが来るべき運命だというなら、神ならぬ人がどうやって止められるだろう。

         天帝ですら運命をたやすく変えることはできないだろう。

         とくん…

         駮の鼓動が規則正しく打っている。

         珠晶は目を閉じその鼓動を心地よいと思った。

         亡くなった彼女の穏やかな笑顔を思い出す。

         にこやかにお休みの挨拶をして消灯した。それが最後…

         願わくば、彼女が安らぎの中で旅立って逝けますようにー。

 

         「なかなか、大変だな。看護婦ってのも。」

         「まあね。状況を見ても彼女に責任はないんだけど。ただ、責任感が強いからね珠晶は。けっこうへこんでる。」

         「う〜ん。そうだろうな。あいつがへこんでいると調子が狂うな。それにしても、良く此処がわかったな。」

         「供麒に頼まれてね。連絡を取り合ってるって聞いたよ。」

         テントの中で熱いチャイを飲みながらお互いの近況を話す。

         「彼にしてみれば自分で連れて来たかったんだろうけど、生憎当直でね。当直あけの私が頼まれたから。

          まあ、騎獣に会えば少しは元気が出るかもね。」

         「確かにあの騎獣好きには、なによりだろうな。」

         「そうだ。今度頑丘にあったら頼もうと思ってたんだけど。誰か朱氏を紹介してくれないかな。黄海ですう虞を

          捕まえたいんだ。そうだな、2.3人で捕まえるのはどうかな?」

         「悪くない。じゃあ信用のおけそうなやつを当たってみよう。夜になれば戻ってくるから会ってみるかい。」

         「いいね。じゃあちょっと珠晶に話してどうするか聞いてこよう。帰りたいようなら送ってくるし。」

         頑丘も利広も、知らなかった。

         駮の暖かい温もりにすっかりリラックスした珠晶が夜勤の疲れもあって爆睡していることを。

         そして夜中、やっと目覚めた珠晶に

         「私も朱氏に会いたかった!何で起こしてくれなかったのよ!」

         と、おもいっきり言われることになる。

         (まあ、元気出たみたいだからいいけど、ね?…)

         出かかったあくびを一つかみ殺しながら、利広は苦笑した。

 

         翌日、いつものように元気な珠晶にホッとした供麒ではあったが。

         「頑丘さんはお元気でしたか?」

         「変わりなかったわ。…なぜ、昨日頑丘と会ったことを知っているのかしら?ねえ供麒?」

         「あ、…あの…り、利広先生から今朝…」

         「ふーん?今日は利広はお休みなのに、電話でもあったのかしら?」

         「…え、あ、あの…はい…」

         「うそおっしゃい!!…そう、あたしに隠し事するのね?もう、供麒なんか知らないから!」

         「しゅ、主上〜〜」

                    慌てた供麒が白状して、自分に内緒で頑丘と供麒が連絡をとりあっていたことが珠晶の怒りを倍増させた。

         さんざんお説教されてシュンとした大きな麒麟をみて珠晶は一つため息をついた。

         「まあね、供麒も心配してくれたのよね。おかげで元気でたし。御礼を言うわ、ありがとう。

          そうねぇ、楽しかったから今度は供麒も一緒に行く?」

         にっこり笑顔で言われ、供麒はしかられていたことも忘れて「自分は世界で一番幸せな麒麟です。」と思ったとか。

 

         

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                                  長いことお付き合い下さいましてありがとうございます。

                                  柏野様の「病院コンテンツ」を見たときからずっと考えていたストーリー

                                  だったのですが、いざ書き出したらどうにも話がまとまらなくて…

                                  なかなかの難産でした。(ふう〜)

                                  杜真はなかなかの好青年で好きなキャラですが、今回ちょっと怪我をさせて

                                  しまいました。ファンの皆様ごめんなさい。

                                  医療関係の記述はかなり適当なのでつっこまないようお願いします。(あわあわ)