秋雨

 

    日の光が差し込み、小鳥のさえずりが聞こえる。

    今日も晴れ。

    肌寒い朝。

    下界では秋の収穫も終わり、そろそろ冬支度をする頃。

    朝議では早くも春からの農作業に関する議題が満載で。

    夏に決められ、これから本格化する道路や治水工事の進行状況の報告 、作物の収穫高の報告

    他国との貿易、技術携帯……うんざりするほどの報告が待っている。

    夏には冬の。秋には春の。冬には夏の。春には秋の。

    終わりのない一年が毎年毎年繰り返されて。

    朝議の議題で季節を知る。

    昨日も晴れ、今日も晴れ、明日も明後日もその先もずっと晴れ。

    ふう、と息を吐く。

    思考が空回りしている。

    「少し……疲れた…」

 

         

 

    「……じょう。…主上…」

    「あ、…ああ、悪い。ぼんやりしてた。……なに?」

    いつもなら午後は瑛州公としての政務をしている景麒が、珍しく春の祭祀のことで相談に来ていた。

    はあ、と盛大にため息をつかれる。

    「今日はこれで3回目です。午後の政務になってから外ばかり見ておられて、

     一体どうなさったのです?」

    「え…3回も……そう?」

    傍らの冢宰を見ると、気遣わしげな顔をしている。

    「悪かった。祭祀の事だったな。」

    「主上。もしやお加減でもおわるいのでは…。」

    「いや、別に何でもないよ、景麒。ただ…ちょっと、ほら、あんまり良い天気なもんだから……」

    「外へ行きたいと仰るのか。」

    「いや。なんでここは晴ればっかりなんだろうと思って。晴れのことを良い天気って言うけど、

     晴れしかないんだから良いも悪いもないよね。…どうしてここには雨が降らないんだろう?」

    「雨…ですか」

    思いがけないことに景麒は面食らった。答えようがない。

    先程から陽子の様子を見ていた浩瀚が取りなすように声を掛ける。

    「恐れながら……主上には少々お疲れのご様子、今日は御休息なさった方がよろしいのでは。」

    「…あ―そうかな。……少し、ね、疲れてるのかな。ここんとこ晴れた陽射しを見るたびに、体が

     干上がっていくような気がするんだ。なんでだろうね、むしょうに雨が恋しくて……」

    陽子は窓の外へ視線を向ける。横顔に疲労の影がさす。

    しばらく浩瀚と顔を見合わせていた景麒だが、立ち上がって陽子の前に来る。

    「今日はもうお休み下さい。浩瀚の言うとおり、お疲れのご様子ですから。」

    「でも……」

    「主上、尭天は、雨だそうですよ。」

    「景麒……。…いいのか?」

    「班渠をつけます。夕餉までにはお帰り下さい。それと、今頃の雨は冷たいもの、暖かくしておいで下さい。」

    景麒が微笑んでいるように見える。

    「ありがとう、行ってくる。」

    慌てて出て行く陽子に

    「余り、無茶をなさいますな。」

    と、声を掛ける。

    「わかってる」の返事は廊下から聞こえた。

    しばらく陽子の出て行った方を見ていた景麒だが、書類の前に座り直した。

    「お一人でお出しになるなど、ご心配では?」

    いいながら、少々意地が悪い質問だと自分でも思う。

    「心配です。…使令も付いていますから、お帰りをお待ちするしかないでしょう。」

    当たり前だと言わんばかりに浩瀚を見る。

    「よろしいのですか?ご一緒なさらなくて。」

    「主上のいないぶん、少しでも進めておきましょう。お帰りになった時に少しでも負担が減るように。」

    「台輔はおやさしい。」

    クスクスと笑う冢宰に

    「仁獣ですから」

    と返して、書類の山に埋もれるように政務をはじめる。

    照れて耳まで赤くなった景麒を、見逃さなかった冢宰のクスクス笑いはしばらく続いた。

 

 

 

    雲海をくぐると、雨の最初の一粒が頬に当たった。

    体中湿った空気に覆われ、濡れた草木の香りが漂う。

    細い糸のような雨がまとわりつくように降っている。

    景麒に言われて重ね着をしてきたから寒くはないが、大きく深呼吸をしたら吐く息が白い。

    街はずれで班渠から降りる。

    しばらく上を向いて佇む。

    冷たい雨が顔を包む様に流れていく。

    同時に体中が潤い満たされていく安堵感。

    肩の力と顔のこわばりが溶けてゆく。

    冷たい雨に混じって、暖かい物が頬に流れる。

    ジリジリと体が灼かれるような焦燥感。

    焦がれるように雨を求めた。

    あの思いは、いったい何だったのだろう?

    こうして雨に濡れている事に意味なんてないのに……

    ……なのに、こんなにホッとする……

    ハアと息を吐いてゆっくり目を開ける。

    雨雲の暗い空を見ながら陽子はただ雨に濡れて立っていた。

  

 

    利広は新しいすう虞を馴らすために少し遠出をしていた。

    雁までの親書の使い。

    帰り道、慶で雨に降られた。

    雲海の上を行けば雨とは無縁の世界。

    だが、雲海の上ばかりでは、すう虞の訓練にならない。

    わざと雨に濡れながら、尭天の街中を歩く。

    晩秋の冷たい雨は、それにしては随分と優しく降り注ぐ。

    「女王様の慈悲の雨かな。」

    傍らを歩くすう虞を見る。

    「おまえの新しい主になる人は、とても優しい人だよ。」

    ほとんど純白といっていい毛並みを持つ獣は、深い青色の瞳を複雑に光らせた。

    街はずれの雑木林の手前で獣が足を止めた。

    警戒した利広が大木の陰に回ると、すぐに上空から妖魔が降りてきた。

    音もなく姿を消す。

    (陽子……)

    利広には気付いてないらしい。

    すぐに上を向いて立ち止まる。

    (まるで、雨を浴びているようだね。)

    声を掛けるのをためらった。

    (しばらく様子を見ようか…)

    どの位そうしていただろうか。

    隣にいるすう虞を見ると、獣もまた、じっと陽子を見ている。

    さすがの利広も、その青い瞳から、この獣の思考までは読み取れなかったが。

    陽子は温かいシャワーでも浴びているように、雨に打たれている。

    その口元には微笑みが浮かんで。

    陽子の吐息が聞こえてくる。

    (まいったね……そんな陶酔した顔をして…)

    利広は自分の鼓動が速くなるのを感じる。

    (一体誰が君にそんな顔をさせるんだろう……雨にまで嫉妬しそうだ)

    傍らのすう虞が歩き出した。

    止める間もなく、引かれるように利広も前に出る。

    落ち葉を踏む人の気配に、陽子が振り返った。

    白いすう虞を連れた旅人の姿をとらえたその顔は、未だ夢から覚めきっていないようで。

    「陽子?…久しぶりだね。」

    いかにも今来たばかりのように装う。

    「…利広……どうして此処に…」

    「雁からの帰りでね。蒼夜に雨の街を歩かせてみようと思って。」

    傍らのすう虞を見る。

    「ソウヤ?」

    「蒼(あお)い夜。この間手に入れて大分慣れたけどね。」

    黒の縞模様がほとんど無い純白に近い毛皮から、雨の雫が垂れている。

    通常ブラックオパールにたとえられるその目は、しかし、このすう虞は黒ではなく深い青で、

    やはりオパールのような複雑な色合いをしている。

    「ああ、それで、蒼夜。きれいだな…」

    そう言って屈んで蒼夜に触れる。

    蒼夜は陽子のひらいた腕に顔を寄せて大人しくしている。

    「驚いたな。蒼夜はプライドが高くて、人にあんまり触らせないんだけど…」

    陽子が蒼夜の首に腕をまわしてその毛皮に顔を埋めた。

    「やわらか〜いv」

    蒼夜は目を細めてネコのように喉を鳴らした。

    その様子を見て利広は眉をひそめる。

    (なんだ?こいつは……。そういえば、さっき雨の中で陽子をじっと見ていたっけ。

     陽子に向かったのも蒼夜の意思で……まさか…恋とか……まさか…ねぇ)

    「お互いに随分気に入ったようだね。」

    クスリと笑う利広に陽子は顔を上げる。

    「かわいいですね。」

    「ねえ陽子。雨でびっしょりだね。一体、いつまで此処にいるのかな?」

    「あ!」

    慌てて立ち上がった陽子は周囲に薄闇が迫っているのを知る。

    「いけない、帰らなきゃ。」

    「もう?どこかで食事でもしないかと思っていたのに。」

    陽子は首を横に振る。

    「景麒と約束したから。夕餉までに帰るって。あっ、そうだ。利広も来ませんか。

     あの…たいしたお持てなしは出来ないかもしれないけど…でも、もし、よかったら…」

    「そう……。私も、ちょっと話したい事があったんだ。じゃあ、お言葉に甘えて寄っていこうかな。」

    (フーン、お堅い景麒が、雨の街に一人で降りるのを許したのか。何があったのか、ぜひ

     聞きたいものだね。蒼夜のことも伝えておきたいし…金波宮に置いていく事になりそうだけどね。)

    …くしゅん……

    「やだ、くしゃみが…」

    くすくす笑って利広は自分の外套を陽子に着せ掛けた。

    「こんなに濡れているんじゃ、気休めにしかならないけどね。」

    冷たい雨で思っていた以上に体は冷えていたらしい。

    ふわりと利広の温もりを感じる。

    「ありがとう、あったかい。」

    はにかむように笑う。

    「蒼夜に乗ってみて」

    「いいの?」

    「金波宮はすぐ其処だから、二人でも大丈夫だよ。」

    班渠を呼ぶ。

    「景麒に卓朗君がいらっしゃると伝えてくれ。それと、着替えと湯の用意を。」

    「御意」

    「さて、私達もいこうか。」

    妖獣までも魅了するこの女王の心を自分一人のものにするのは可能だろうか。

    利広はそれが、とても大それた望みのような気がして、陽子に解らないように

    そっとため息を落とした。

 

 

 

                               「Robot Station」の柏野さん、9999HITありがとうございました。

              利広がらみのリクエスト、みーにはこれがいっぱいいっぱいでした(爆)

              これに懲りずにこれからも宜しくお願いしますV(平伏)

              利広が蒼夜を手に入れた時の話「狩り」は別に書いてあります。

              最初は「狩り」をリク小説のつもりでいたのですが、あまりにも(?)な、

              内容だったのでやめました。これは、その流れをくんだものです。

               そして、鏡月様が「陽子と蒼夜」の素敵なイラストを描いてくださいました。

               ありがとうございますv

              <頂き物>に飾ってあります。ぜひご覧下さいv